久留米発の映画「卒業写真」の思い出

2月8日
昼過ぎの飛行機で九州へ。夕方にはロケ地の久留米に到着。
今回の映画「卒業写真」は久留米市民と共にある映画である。これからは8泊9日間の映画撮影の日々。日暮れてからロケ現場の病院に向かう。
ところで今年の九州は思った以上に暖かい。厚手のコートは邪魔なくらいだった。

私の第一カットは病院での撮影から始まる。今日の出番に台詞はない。物語の後半のシーン。末期の白血病のため故郷の久留米のホスピスでケアを受けている主人公のカメラマン上野和馬(津田寛治さん)を、同級生たちが見舞いに来ている場面。私もその一人、現在は地方新聞の記者という役どころである。
病院に着くと、和馬の叔母さん役の根岸李衣さんが真剣な演技で担当医(これも和馬の同級生で元カクスコの山崎さんが演じている)に詰め寄っている。さすがの迫力。私はその昔、青山のVAN99ホールで観た「ストリッパー物語」の頃からのファンである。

もう一人の同級生役のEIJIさんと初対面。彼は福岡の有名DJであり、芝居やバンドもこなす人である。中学生時代はやんちゃだったという役柄がぴったりの存在感の九州人である。
そしてもう一人の同級生役は以前に舞台「がめつい奴」で一緒に長旅を経験している劇団民芸の境賢一さん。私の兄貴分のような役柄。というか、私の役の森光貴弘はどうも中学時代には彼にアゴで使われていたらしい。いわゆる“ぱしり”である。

撮影が予定より随分早く終わったので、EIJIさんのお誘いで久留米の夜の街に繰り出す。地元のブライダル会社の方も合流して居酒屋「華美(はなび)」へ。
ここで出されたゴマ鯖の“ヅケ”は最高に美味かった!

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これが、その逸品。モチッとした食感とタレの味が他に類を見ない。大体“生の鯖”なんて、東京じゃ絶対に食べられない。ああ、久留米に来て良かった!

やはりまだまだその土地にはその土地の美味いものがいっぱいあるのである。その後に出てきた“牛スジのスープ”も高得点だった。
梯子したお店で、瀬木監督も合流。夜は更けていくのであった。


2月9日。私はお休み
朝からホテル内の温泉に浸かる。用意された和朝食もまるで温泉宿のようだ。
今回の宿泊はこの温泉の朝風呂が最高に嬉しい。よーし、毎日温泉三昧である。
午前中は部屋で読書とパソコンの環境設定。
ホテルロビーのカフェでラジオ英会話もゆったり聞けることが分かった。これは助かる。

午後は映画を観に出かける。場所はTジョイという最近流行りの郊外方のシネコン。ここで「それでも僕はやってない」を観る。
周防監督11年ぶりの新作は、やはり素晴らしい。これから始まる裁判員制度の前に絶対見るべき映画である。決してエンターテインメントでも派手でもないにもかかわらず、私は一瞬たりとも飽きることがなかった。キャスティングも絶妙。個人的には裁判官の正名僕蔵が一番好きだった。日本の裁判制度の問題点を浮き彫りにしていた。日本では“推定無罪”の原則は名ばかりで“推定有罪”なのである。私の一人芝居「接見」にも影響を及ぼしそうである。購入したパンフも内容満載だった。

夜は監督に誘われ九州名物“もつ鍋”屋さんに。境さんや山崎さんも一緒だった。脂の乗った“まる腸”が美味しい。店の名前は“胡麻ごま”。
夜11時から私の出演した日本TV系「未来創造堂」が放送された。ホテルの部屋でOAをチェック。嫌味な上司の役を楽しんで演じることが出来たミニドラマだった。


2月10日。またお休み

今日も温泉と洋朝食で一日がスタート。
午後は散歩。

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今日の散歩の初めは寺町。こんな感じのお寺の門構えや白壁が続くのです。なかなか良い風情でした。
この町の区画は江戸時代からのものだそうです。

見所マップを頼りに本当にお寺の多い寺町を歩く。どのお寺も庭の手入れがきれいに行き届いている。高山彦九郎(江戸時代に王政復古を唱えた人)の墓と終焉の地(最後は久留米で自害したらしい)を訪ねる。国道を大きく回って筑後川の川べりに出る。河川敷の公園を眺めながら土手沿いの道をゆっくり散歩。新しい運河の工事をしている。それと土手から見ると市街地の様子がよく分かるのに気づいた。進行方向には耳納(みのう)連峰の山並みが、後方には一段と高い背振山(せぶりやま)が見える。二千年橋で左に曲がって久留米大学医学部を横に見る。右の坂を上って久留米城址を見た後はブリジストンのスポーツセンターを発見。久留米はブリジストンの石橋家の土地柄なのだ。医大通りの途中にレトロな魚屋さんを発見。ここは今でも昔ながらに、店内の流しで魚を捌いて刺身にしてくれるのだ。釣り好きで魚好きには、こういう渋い発見も嬉しい。そこからすぐのところには打って変わって超モダンな市庁舎があった。新旧のコントラストである。そして、ここにもあるかレンタルビデオの“TSUTAYA”の手前を右折して、用水に泳ぐ鯉の姿を見て、明治通りを通ってホテルに帰る。約2時間半、一万五千歩の旅であった。なんだか落語の「黄金餅」みたいだ。

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これが先のレトロな魚屋さん。何だか「さびしんぼう」の富田靖子が出てきそうな雰囲気だった。さっと目を引かれる佇まいだったのである。


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これ東京や上海のホテルじゃありません。市庁舎です。聳え立ってます。確かに格好良いんだけど、私は古い町並みの”顔”のある風景も好きなんだよね。

夜は洗濯と読書。沈思黙考、地味な一日である。


2月11日、建国記念日
2日ぶりの撮影。
今日は主人公の和馬が母校の中学校で市民の皆さんや同級生の写真を撮る場面。現在のそれぞれの人生が垣間見える。
朝11時にホテルロビー集合。チェッカーズの高杢さんや鶴久さんも一緒だ。お二人はもちろん久留米の出身なので、行きの車内では久留米弁が飛び交う。これがなかなか楽しかった。まるで普通の久留米のおじさんなのだ。
途中で久留米と大分を結ぶ単線・単車両の九大線の黄色の電車が踏み切りを通過した。そのあまりにローカルでレトロな風情に大いに盛り上がる。
撮影現場の屏水中学に到着。すでにグラウンドでは先着組みが撮影をしていた。
着替えを済まして全体の記念写真を撮る。そして自分の役の中学生時代の出演者と初対面。この映画では和馬の回想シーンが多いので、大人の出演者にはそれぞれ自分の分身がいる。そして今日はほとんどオールキャストが集合する日なのだ。見学客や取材の方も多くて一段と盛り上がっていた。

午後は同級生役のキャストが一人ずつ和馬のスチールカメラに収まる場面の撮影。新聞記者役の私は撮影現場の準備をする係りだ。

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こんな感じで撮影しました。これは境さん家族の集合写真を撮る場面。私は照明を直している。境さんは役としてオシャレしてきてます。でもちょっとゴッドファーザーみたいですね(^0^)

ここで私は初めて台詞を言う。しかも予想通りに台本とは違ったアドリブになる。こういう台本には書き切れないような場面は現地での判断になるのが常である。早速方言指導の先生に指示を仰いで頭に叩き込む。リハーサルでは即興の方言を度忘れしてしまったが、本番ではクリア。先生も納得してくれた。私は一応方言が得意な方である。
空き時間に隣の教室で待機していると、和馬の奥さん役の羽田美智子さんが“漢字のクイズでもやりましょうか”と言い出したので皆が賛成。早速“さんずいの付く漢字を列挙する”ことになる。つまり“海”とか“汗”とか書き出すわけである。これに皆が熱中してしまった。途中から暇なスタッフや取材関係者も混じって、1時間ぐらいで100字以上の漢字が黒板に並んだ。長い待ち時間も全く気にならなかった。

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これがその時の黒板。そのまま消さないでおいたから、翌日登校した生徒は驚いたと思うなあ。大意のない遊びなので気にしないでね。黒板をきれいにしなかったのは謝ります!ごめんなさい!

おまけだが、教室で発見した生徒の面白いコメント。好きなタレントの質問に“尾藤イサオ”というのがあった。これは笑えた。今どきの中学生の答えとは思えない。この生徒の他のコメントも調べると、尊敬する人物は“祖父”と書いてあった。なるほどそういうことかと納得した次第である。古き良き日本も活きている。

なお今日撮ったスチール写真はエンディングのタイトルロールにも使われるはずである。

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これは前述のレトロな魚屋さん。私のデジカメで撮った1枚ですが、この方は監督の眼に留まったらしく、エンディング候補の写真として教室の壁に飾られていた。


撮影終了後に公民館に移動してEIJIさん仕切りの“鳥鍋”の大盤振る舞いがあった。ご当地自慢と言うだけあって、さすがに美味い。最初に飲んだ鳥鍋スープの段階からスタッフやキャストから感激の声が上がる。

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EIJIさんは自ら特製鶏鍋造りの実演指導。どうやら九州には同じような作り方が多いらしく、高杢さん達も手順を教えてくれた。


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EIJIさんは、最後の雑炊も自ら仕上げてくれた。これお美味しそうでしょ!

勢ぞろいしていたスタッフやキャストも大感謝の夕食であった。


2月12日(月)振り替え休日
シネコンのTジョイで朝一回だけ放映している「硫黄島からの手紙」を見る。
冒頭の現在の硫黄島の俯瞰の場面から引き付けられる。日本人の視点から同じ戦闘の物語を作ってしまうクリント・イーストウッドはやはり凄い。見終わった後には次の映画待ちの休日のお客さんが賑やかに集まっていた。60年前と現在とのあまりのギャップ。

西鉄久留米駅から鰻の老舗「田中屋」を探して散歩。途中で目についた古書店に立ち寄る。ここには狂言や謡曲の本が置いてあった。専門の足袋も扱っているという。福岡にも狂言をやる人がいるのを知ってちょっと驚き。
さてやっと「田中屋」を発見。しかし案の定、本日は定休日であった。
帰路に創作オムライスの店「たまご庵」というのを発見。ホワイトソースオムライスという変り種を注文した。こういう新しい感覚の店が久留米にもあるんだね。
小さな発見や驚きが重なって、久留米の街が段々と分かってきた

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シネコンは増えているが、街中の映画館はどこの町でも廃館を余儀なくされている。ここもそうだった。せめて別な形のホールとして復活して欲しい。私はのっぺらぼうなシネコンより、”顔のある”名画座の方が好きだ。

夕方からは同級生たちが和馬の生家に集まる場面を撮る。和馬の容態の急変を知って皆が駆けつける。実際の古い民家をお借りしての撮影。日没前に完了。
夕食には“馬刺し”と“おでん”の炊き出しがあった。ロケ弁ばかりの毎日なので、こういう手作りの食事は本当に有り難くて美味しい。これも市民の映画だからだろう

夜は、和馬の臨終を身内や友人が看取る場面。
リハーサルを終えた後で、撮影手順や芝居の段取りについて俳優部からの意見が飛び交う。根岸さん、秋本奈緒美さん(やはり同級生の役)、津田さん、羽田さん、EIJIさんらが、自分の経験を元に熱く語る。この映画でも一番大事な場面だけに真剣だ。
皆の意見をまとめたところで、瀬木監督も交えて再度意見を交換した結果、収録現場の修正ということになる。さらに入念なリハーサルを重ねて撮影は深夜に及ぶ。
本番を終えた後は、出演者全員がティッシュで涙を拭いていた。みんなのすすり泣きは本物だった。もちろん私もね。
撮影を終えた後で、看取られる側の津田さんが“嬉しかったなあ”と実感を込めて言っていた。逝く側の気持ちを感じられる経験なんて滅多にないだろう。
そして大方のキャストが帰った後も、主役の津田さんと羽田さんの撮影は朝まで続いたのである。


2月13日(火)
睡眠時間3時間で起床。ただし羽田さんは一睡もしなかったそうである。
朝から病院での撮影が始まる。
友人たちが久しぶりに和馬の元に集まる場面。つまり友人キャストが初めてこの物語に登場する場面だ。臨終の後に、出会いの撮影である。いわゆる“順撮り”ではないので仕方ない。
それに深夜の討論やら何やらで、みんなのチームワークも出来ていたから和気藹々とした再会シーンが撮れたと思う。根岸さんが“漢字クイズも無駄じゃなかったねえ”と言っていたのが印象的だった。

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撮影合間に集まったキャストの記念写真。前列右から秋本さん、根岸さん、看護婦役の方。後列右から山崎さん、EIJIさん、私、境さん。
やはり同じ時間を共有するということは大事なことなのである。

仲良し集合写真の後に恐縮だが、末期がんの役作りのため7キロも減量したという津田さんの痛々しい演技も実に良い。
そういえば、鶏鍋やおでんの炊き出しも津田さんはほとんど口につけていなかった。ご苦労様です。
今日は1シーンの分量が多いので時間がかかる。方言の問題も多発した。しかし問題が多い方が映画らしい気もするから不思議だ。

夜は「華美(はなび)」で小宴会。根岸さん、有福正志さん(根岸さんのご主人役)、EIJIさんらが集まる。私はまたまたゴマ鯖の“ヅケ”を注文。やはりこれは美味い!
根岸さんや有福さんは今日で撮影が終了なので、解放された勢いで盛り上がる。


2月14日(水)雨模様。今日もお休み。
ラジオ英会話を終えて街を散歩。今日こそ食べるぞと、「田中鰻屋」を目指す。創業200年、江戸時代の有馬藩お抱えの店から始まった老舗は、JR久留米駅の近くにあった。
看板メニューの“鰻せいろ”が出来るまで待っていると、隣の席では“40年前に、一度ここへ来たことがある。懐かしいなあ”なんて会話が聞こえてくる。
15分ほどして運ばれてきたのは蒸した鰻ご飯。せいろの容器には、頃合に切った鰻が上下2列に並び、その間に錦糸玉子が飾られている。見た目もきれいで美味しそう。その下には白いご飯ではなく、タレを万遍なくまぶした茶色のご飯。箸をつけると、さっぱりした味つけの鰻の風味が口に広がる。まさに老舗の味だった。3日前から頭の中には鰻が渦を巻いていたので大満足だった。

さらに足を伸ばしてJR久留米駅に行く。駅前には大きなからくり時計があった。
丁度2時だったので仕掛けが動き出した。出てきたのは地元の偉人、田中久重という江戸末期の発明家とその発明品だった。それらが説明ナレーションと共に愉快に動き出す。

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これが時計のアップ。
説明書きなども読むと、どうやら田中翁は現在の東芝の創設に大きく寄与しているらしい。
ちなみに時計が動くとBGMも流れます。何曲かバリエーションがあって、この日はチェッカーズの”涙のリクエスト”でした。

時計の側には、これも郷土の著名人である洋画家の青木繁の絵の看板もあった。

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私も中学だか高校の美術の教科書で見たことのあるこの絵「海の幸」である。
もちろんこれは高校生が描いた複製です。


そのまま午後は散歩と読書。日記も書く。

境さんと合流して夕食。根岸さんから聞いていたミニ餃子の店「娘娘(にゃんにゃん)」に行く。水餃子と焼き餃子を注文。確かに小ぶりで美味しい。それに九州ではよくあるらしい“一文字ぐるぐる”とかいう品も注文。つまりは1本のネギをくるっと巻いた“ネギぬた”のことであったが、これはこれで美味しい。
餃子だけでは腹にたまらないので、これも根岸さんから聞いていた「あっくん食堂」に焼きそばを食べに行く。これが安くて美味かった。豚肉や野菜とソースの具合が絶妙。これで¥530はお薦めである。
勢いがついて境さんお薦めの居酒屋「田舎路」へ。ここはカウンターだけの店、外から見ると実に細長い店である。母と息子、そしてお嫁さん3人でやっている店の雰囲気が良い。この日は息子夫婦の結婚式のビデオを延々と見させられてしまった。そしたら式の司会が何とEIJIさんであった。ここへ繋がるとは、久留米は色んな縁が絡んだ街である。




2月15日(木)快晴。
ホテルの食事をパスして、今日はとんこつラーメンを食べに行く。行く先は、今回の方言指導を担当しているKさんが経営する「大砲ラーメン」である。色々と噂は聞いていたが、さすがこだわりの味であった。私が注文したのは“昔ラーメン”。脂ギッシュだが見た目ほど味はくどくない。先代の創業以来ずっとスープ鍋を殻にしたことがなく、毎日少しずつ足し続けているという自慢の“呼び戻しスープ”が美味い。私が行った本店は住宅街の中にあって決して立地条件が良いわけではないのに、わざわざこの店のラーメンを食べるためだけに集まった客で繁盛していた。

待てよ、この日記は段々久留米のグルメ旅日記になってきている。ま、いいか。

五穀神社を散歩して、帰り道で偶然にこんなものを発見。

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昨日見た発明家の田中久重の生誕の地の碑に出くわす。西鉄の線路の高架の下にあった。

寺町辺りでは“じいちゃん工房”と貼り紙をしてある民家のガラス窓の中に面白いものを発見。

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これは水車小屋のミニチュア。
個人の趣味で作ったものを窓際に飾っているらしい。

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さらに手作りの釣りのウキまであった。これはハヤを釣るためのウキだという

思わず中に入ってしまうと製作者のおじいちゃん三池さんが、まさに三連の水車小屋を作っている最中だった。ずうずうしくも色々と質問。最近は注文を受けて他の方のために作ることもあるらしい。それとウキは川釣りのハヤのためのウキだという。素材は葦。
もうなんだか「ぶらり途中下車の旅」みたいになってきたぞ。

夜、私の最後の場面の撮影。
私(貴弘)とEIJIさんは和馬の中学時代の淡い恋の思い出のヒロイン“ひとみ”をインターネットで捜している。死期の迫った和馬の為に他のみんなも必死である。“ひとみ”は中学時代に家出して東京へ行ってしまったきり音信不通である。

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パソコンの画面のわずかな情報に食い入る貴弘。一昼夜を過ぎて疲労もピークに。そこへ・・・。後は見てのお楽しみ!


監督の最終カットの声がかかると、出演者の2人に大きな花束。

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何回もらっても嬉しいなあ。全てが終了。時計の針はてっぺんを越していた。

EIJIさんと「華美」で渋く打ち上げ。しかし撮影スタッフは、この後からTジョイで久留米撮影分のラッシュに向かった。映画のスタッフはタフである。ご苦労様!


2月16日。快晴。
M君の送迎バスで福岡空港へ、EIJIさんともお別れ。
飛行機はおみやげの明太子プリッツと私を乗せて東京へと飛び立った。
果たして次に久留米に来るのはいつの日だろうか・・・







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