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2009年7月8日(水)朝日新聞夕刊
ドイツの舞踊家、故ピナ・バウシュへの追悼文の中で
…「人がどう動くかではなく、何が人を動かすかに興味がある」と、ピナはよく語った。喜びや絶望の極みで、人が言葉を失うとき、身体はどのように動き出すのか。この問いが常にダンサー、振付家としてのピナの背中を押していた。
※「何が人を動かすか」という言葉から、私は「お芝居では、台詞を言うより、台詞を聞く方が大事だと思う。つまりなぜその台詞を言ったかが大事」とか「演じるときに考えるのは、どうするべきかではなく、どうしたいかである」なんてことを普段から感じているのを思い出した。ま、「どうすべきか」を考えなくちゃならないこともあるけど。
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2009年7月1日(水)朝日新聞。対談「裁判を変える」より
映画監督の周防正行&弁護士の今村核
周防「裁判員制度の『守秘義務』も問題です」
今村「3年後に制度を見直すことになっていますが、裁判経験者の意見を聞かずにどうやって見直すのか疑問です。特に、評議で裁判官がある方向に議論を誘導したかどうかといったことの検証は、守秘義務を解除しないとできません。3年後に見直すためにも、今すぐ守秘義務規定は見直すべきです」
周防「せっかく市民を参加させながら、市民の意見は反映されにくい制度設計になっていて、市民はバカにされています・・・裁判員が『分らない』と言えば、裁判官は分るように説明しなければならない・・・僕は『分らない』という勇気を持とうと思っています」
※裁判員に選ばれたら、その評議の過程は、たとえ家族にでも話してはいけないことになっているのは有名だ。その守秘義務が、こんな足かせになっているのである。理想としての裁判員制度には賛成だが、やはりこんな穴が沢山あるのであろう。何より、被疑者や被疑者の関係者に怨恨を持たれるのが非常に危険だと思う次第である。
それにしても裁判員制度は始まってしまったが、裁判員に対する報道の集中取材は何なのだろう?もちろん本人の許可を得て、逆恨みの可能性のない被告の審理を選んでいるのだろうが、これから裁判員のプライバシーが守られるとはとても思えない。しかも第1号裁判は控訴されてしまった。こうなると裁判員の努力は無駄である。
裁判員制度の理想は認めるが、穴だらけの制度である。
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