2001年8月16日
★山田洋二(映画監督)

・・・人生はそんなに面白くおかしいものではない。むしろ退屈で寂しいものだけど、でも自分を愛し、他人を優しく見つめることができたなら、時々は、ああ生きていてよかったなあ、と思うときがあるに違いない、人生はそのためにだけでも生きるに値するのではないか、というようなことなのです・・・


(朝日新聞夕刊「永遠の宿題」というテーマに寄せられた、夕暮れの情景を思わせるような切なくて暖かいエッセイより)
※山田洋二監督が中学生の頃から東大に合格するまで私的に勉強を教わっていた、物静かで優しく、芯の強い先生から無言の教えのうちに学んだ人生訓。その文の中で氏はその先生のことをこうも語っている。『彼の生きる態度とでもいうか。自分を信頼し、それゆえに孤独を恐れず、むしろ孤独を愛し、僕のような年下の人間にこのように尊敬されながらひっそりと暮らすことができるような人間に、そんな大人に僕もなりたい』

※これを読んだ頃、私は少なからず滅入っている時期であり、役者人生というだけでなく『生きる』とはどういうことなのだろうかと悩んでいた。そこで眼にしたこんな文章が私の心にピンを打ってきたのである。
生意気なようだが、私はこの監督の「学校」シリーズが好きではなかった。説教臭いからであり、どこかご都合主義で、時代にそぐ合わない部分も多かったからでもある。しかし大竹しのぶ主演の4作目だけは違った。一般的には不幸な境遇としか言いようのない彼女の、たくましくて切ない人間の生き方が素晴らしかったからである。映画のラスト、これでもかというように彼女には大きな試練が待ち受けている。映画はこれに答えを出していないのだが、私はこの文章を読んでその答えが分かったような気がした

2001年8月17日
☆小池真理子(作家)

・・・人はなぜ恋をするのか・・(中略)・・・ここには、人間の孤独、という問題が大きく関わっています。「孤独」という問題は生涯を通じて私たちを悩ませてくれるのです。
・・・恋はそうした私たちの中に生まれつき備わっている、一つの大きな、他者との合一に向かった健康的な衝動でもあります。・・・恋は瞬間的に訪れる、ロマンティックでドラマティックなものと考えられがちですが、実は、孤独感を癒そうとする人間の、まことに健全な、それでいて切ない、他者との強烈な同化願望なのです。
・・・猛烈な恋をしたとしても、相手はあくまで他者であって自分自身ではありません。相手と自分の間にはいつだって無限の距離があるのだ、という事実をどれほど冷静に受け入れられるか、がその人の価値を決めます。
・・・死を知ることはとても大切なこと。死を知っている人、死とまじめに向き合おうとする人だけが、恋愛の悦びや悲しさ、不条理の感覚を受け止められるようになる。死を非日常のもの、不浄のものとばかり考えていては、恋に限らず、今後、あらゆる人生の試練に立ち向かうことはできません。・・・

(朝日新聞夕刊。「永遠の宿題」に寄せた名文)
前日に引き続いて、脳天を刺激させられるような記事だった。テーマが広くなり内容が多岐にわたっていたので、筆者の言わんとすることを少しでも多く理解しようと何度も読み返したのを覚えている

2001年12月下旬
☆梅沢昌代(女優)

・・・まだ稽古は始まったばかりですが、女中役とか仲居役は梅沢の得意種目なので、エネルギー全開で日々稽古に励んでいます・・・

(2002年新橋演舞場のお正月公演「嵐が丘」のDMより。)
※女中役や仲居役が得意と堂々と言い張る度胸のよさとユーモアに脱帽。実際に本番の舞台を見に行ったが、そのお言葉通り素敵な女中役ネリーでした。ほとんど主役といってもよかった

2002年元旦
★折本和司(弁護士)

・・・2001年は内外とも激動の年でした。自己責任とは勝者の無責任だし、一国家によるテロへの報復は、本質的解決を遠ざけるものです・・・

(年賀状の中のお言葉より抜粋)
※解釈も解決も難しいですが、とても胸に染み入る言葉でした

(豆知識・・・元旦とは1月1日の朝のことだそうです。元日は1月1日のこと。つまり、日と旦の違いです。下の一の字の棒一本の意味は朝ということだそうです。NHKの子供ニュースで知りました。あの番組は一般常識がおぼつかない私のような人間にとっては救いです。池上彰はエライ!)

2002年1月3日
★ショパン猪狩(東京コミックショウ)

≪今年もこの芸に、笑味期限なし!≫

(年賀状のお言葉より)
※素晴らしいの一言。この笑芸人魂に拍手あれ!

2002年1月5日
★下山啓(劇・放送作家)
・・・回文(上から読んでも下から読んでも同じ)・・・

今年も平和祈る春の祝い・・・屁もしとこ。

(これも年賀状のお言葉より)
※こんな長い回文を考えつくだけでもすごいのに、ちゃんと世相も織り込んでいるところがなお憎い

2002年1月9日
★扇田昭彦(朝日新聞劇評家)

・・(前略)・・・、お湯にのんびり使って、全身の毛穴が開いていく快さにも似た幸福感がここにはある。同時に時代の流行にあえて背を向けた潔さもある。
作家の井上ひさしはかつて、「ユートピアは『時間』で成立しているのではないか」と書いたことがある。今や「場所のユートピア」は不可能となり、あるとすれば、それは気の合った仲間が集まって「時間を忘れるほど」楽しい時間を過ごす状態の中だけだということだ。
その言い方を借りれば、カクスコの舞台は、しがない男たちが作る確実に楽しい「ユートピア」的時間である。「ユートピア」だから、ここには変化がない。カクスコがいつも同じような作品を上演してきたのはそのためだ。この演劇的「ユートピア」が退場するのは寂しい。
若瀬豊の舞台美術がユニークだ。・・・

(1月9日の朝日新聞夕刊の劇評より抜粋)
※カクスコの舞台の好みは問わない。純粋に劇評に対する評価として賛辞を送りたい。ここには難しい語句を無駄にばら撒いた論評やありがちな物語のあらすじの説明は一切ない。氏がカクスコに対して好ましく思っている気持ちが心地良く要約されている。すべからく劇評はこのようであってほしい。自分の物の見方で、そして読んだ人の気持ちを動かすような読み物こそが芝居の(特に喜劇に対する)評論の本道ではないかと思う。何故なら芝居に携わる者の大半もその気持ちで作っているはずだからである
新聞の劇評を読んで、近頃珍しく嬉しくなってしまったので書き記すことにした

2002年1月10日
◎ショコラ(映画)

・・・大事なのは何を禁じるかではなく、何を受け入れるかではないでしょうか・・・

※(この映画は最高!他にも素敵な言葉や場面がきら星のように輝いていた。チョコレートがあんな魔法になるなんて。あんな着眼点で物語を作れるなんて。ラストの娘の心の中の風景場面には思わず泣きそうになった)

2002年1月12日
★秋田市佐竹久市長

・・・「勤務中のパソコンゲームはご法度です」・・・
(昨年暮れに角館警察署内で起きた勤務時間中麻雀大会の不祥事発覚事件を受けて、市職員のパソコン使用ルールを決めた)

(朝日新聞朝刊社会面の記事より)
ただ闇雲に何かを禁止したとしても、人間というのは必ずそれを破ろうとするもである。「ショコラ」の言葉のように何か心や血の通った対処はないものだろうか。もう少し考えてから結論を出してほしいものである

2002年1月13日
☆中村佐恵美(ハリウッド女優)

・・・言葉も知らない国の演劇学校で、芝居のまね事をし、恥をかいて笑われながら自分をさらけ出し、見栄とか虚栄心、偽善的な考え方や姿勢を徐々に削ぎ落としてゆきたい。自分にとって本当に大切なものと、それほど大切でないものを見極めるための価値観を持ちたい。そして、自分と正直に向かい合って生きていければうれしい。渡米を決意しました。・・・

(朝日新聞日曜版特集記事より)
≪中村さんは10年前に単身渡米してロサンゼルスで学び、現在はオーディションを受け続けながら、ハリウッドの映画やTV、CM等で活躍中だそうです。「ナチュラル・ボーンキラーズ」「トゥルーマンショー」「ヒマラヤ杉に降る雪(ヒロインの妹役)」にも出演とか≫
※私が日本で演劇ワークショップを受けるときに少なからず思うことにも似ている。その更なる延長線上にこの考え方はあると思う。そしてこの私も、私のことを誰も知らない国で恥をかいて自分をさらけ出し、自分と向かい合うためにある国で勉強したいと思い始めている。根本にあるこの方の考え方には素直に共鳴できた。同じ気持ちなんだなあと。
おまけに言えば、現在ニュヨークには赤信号の弟子をしていた時期もあった中西君という役者が住んでいる。彼も日本を旅立って10年余り。現在はあのアクターズスタジオの正式会員になっている。

2002年1月18日
★塚崎公義著の「よく分かる構造改革」より
・・・たとえば税金で公園を作る場合には、たとえ利用価値が小さくても利用者から「作るのはやめよう」という声は出てこない・・・

構造改革の問題点の一つ”受益者による費用負担がなされていない”ということの説明。公共投資などの資金配分が適切でなく、必要性の低い公共投資まで行われがちであることを補足した説明として書かれた文。つまりは出来たもので恩恵を受ける人たちも幾分かは費用を出すとかして責任と義務を自覚しないと公平で健全なお金の使い方は出来ないゾ、ということである。内容が具体的で私でもよく分かった。すいませんただそれだけのことです

☆2002年1月フジTV「おしえてちょうーだい」本番中に
川合俊一のこんな言葉がありました

・・・飲み屋とかでとても楽しく時間が過ごせている時、ああきっと誰かが今僕に気を使ってくれているんだなあと思うことにしています・・・

これはシンプルで分かり易い名言である。いつでもこのことを自覚していられたら、本当に楽しい人付き合いができるはずだよねえ(^0^)
私なんか”今この人に気を使っているんだ”と恨めしく卑屈に思う時もあるし、逆に知らず知らずのうちに笑いのために誰かを粉砕していることもあるもんねえ。誰かの犠牲のもとにある笑いも絶対あることはあるんだけど。難しい。

2002年2月3日
★上海のチキン料理の専門店にて
『どうしました』とかなり流暢な日本語で聞かれた

「地球の歩き方」に載っていた上海人に長年愛され続ける1943年創業のチキン料理専門店「小紹大酒店」で、ガイドブックに書いてあるようには注文が上手く出来ずに四苦八苦していた。何しろ簡単な英語すら店員に通じない。こちらも中国語はさっぱりだ。でもこの店の蒸し鶏は是非とも食べてみたい。どうしたらいいんだ?!
そのとき私たちの後ろの列から「どうしました」と声をかけられた。振り向くと家族連れのある男性が優しそうな顔で微笑んでいる。ちょっと中国語訛りだ。私が事情を説明するとてきぱきと店員に指示を出してくれて、その他の注文の段取りまでしてくれた。まさに救われたという気持ちでいっぱいだった。 「日本で働いていたんですか」と聞くと少し照れながら「ええ」と答えてくれた。彼の手にはどうしてだか西武デパートの紙袋が握られていた。それで納得できたような気になって、私たちは何度も何度も御礼を言った。本当に嬉しかったから。
上海では有名なそのお店の1階は、セルフサービスに近いような大衆的な中華料理屋で席も誰彼構わず相席だった。賑やかだが雑然としていて不安はまだ拭い切れなかった。果たして頼んだ物は本当に来るのだろうか?どこに座ったらいいんだろう?困った表情で佇んでいる私たちを見て人懐っこそうなおばさんとおじさんの店員が代わる代わるに段取りを身振り手振りで教えてくれる。飲み込みの悪い私たちの行動がもどかしいのか、オーダーした料理も取りに行ってきてくれる。でも決して嫌な顔はせずにとても親切だ。そんな光景を見て相席していた親子連れの家族もこちらに微笑んでくれた。
それまでガイドブックに載っている高級料理屋やオプションのツアーで出されるがままに食事をしていることが多かった。儀礼的な店員の笑顔はあっても、いやむしろ注文の仕方をよく理解していない私たちに冷淡な応対を受けたことすらあったので、この優しいハプニングは新鮮だった。
他所の国の本当に生な姿を垣間見られた気がした。
2002年上海旅行の一番の思い出になった。

・・・実はこの時注文できたのは、冷やし蒸し鶏と辛いジャージャー麺(営業時間の都合でそれしか注文できなかった)だけである。3人で食べて40元、日本円で600円余り。安い。どう考えても安い。でも出てきた料理の数や値段とは関係なくとても美味しいご馳走を食べた気になったのは言うまでもない。

2002年2月4日
☆中国でこの商品はなんというか?

マクドナルド麦当労
(正確には労ではなくて草かんむりの日本にはない漢字)
ケンタッキーフライドチキン肯徳其
サントリー三得利

※別に意味はありません。ただ成る程ねえと思ったので

2002年2月10日
※2月4日の自分の文章に対して、新情報も入ったので訂正・加筆してHPの掲示板にこんな書き込みしました

ところで先日お知らせしたサントリーの「三得利」は、週刊誌SAPIOによれば、ただの偽者ブランドのようでした。こういう丸々のパクリはデッドコピーというそうです。残念ながら、日本のあらゆる会社の偽会社が中国では横行しているようです。例えば「花王」と「資生堂」の混じった「資王堂」、PolaではなくPulaの化粧品。リコーとニコンで「RIKON」、パナソニックとソニーで「PANASONY」、ゲームのSEGAに似せたSOGA等々。ネーミングのくだらなさに思わず笑ってしまいそうですが、日本側の被害はシャレにならないそうです。そう言えば日本国内でも昔は地方に行くとこんな商品がありました。私が実際に眼にしたものでは、「グリコ」じゃなくて「ゼリコ」のお菓子。(^0^)「ママレモン」じゃなくて「マミレモン」「マイマイレモン」の洗剤とかです(^0^)
2002年3月20日(水)
☆朝日新聞夕刊『読み書きの極意』より
僕は「本との出合いの裏には必ず人との出会いがある」と信じています。特に子どものころは、そのが出合いがとても大切です。
書店メルヘンハウス代表取締役/三輪哲

素朴に良い言葉だなあと思いました。私は大学生のころに読んだ井上ひさしの影響が大でした。
因みに”出会い”は人とめぐり会うことで、”出合い”は人以外のものにめぐり合う時に使う漢字のようです

★上記の言葉の三輪哲・本との出合い
私が大学生の頃、井上ひさしの本に出合ったことは前に記した。
このコラムのおすすめ本になっていた佐野洋子作「おじさんのかさ」を捜して読んでみたが、なかなか面白い絵本だった。有名な「百万回生きた猫」も同じ作者である。どちらも、大事なことを見失っている馬鹿な常識感覚者を皮肉っている。大人にも実に面白い絵本だった。

☆2002年3月30(土)朝日新聞「天声人語」より
27日死去した映画監督のB・ワイルダーさんは皮肉屋だった。「彼の心はかみそりだらけだ」(W・ホールデン)。ワイルダーさんは「人々を退屈させるのは罪だ。何か大切なことを言いたいなら、それをチョコレートにくるみなさい」。

※"難しいことを難しい表現で言うのは簡単だ。それをどれだけ易しい言葉で表せるかである"というような言葉を聞いたのも、確か井上ひさしからだったと思う。ビリー・ワイルダーは同じことを言っている。私はこの監督の「アパートの鍵貸します」が大好きだ。洋画ベスト3に入れても良い。あの頃のシャーリー・マクレーンの可愛いこと!そしてジャック・レモンの喜劇センスと哀愁である。

★2002年3月31(日)朝日新聞の劇評家、山本健一の「放浪記」のコラムより
劇中で菊田(もちろん劇作家、菊田一夫のこと)を演じる小鹿番さんは生前、本人からこう言われたという。
「私は君の想像を絶するような生活をしてきた。それがなんだか分からないだろうが、どこか心に秘めてやってくれ」

※原作者が出演者に助言する言葉としては随分大雑把で押し付けがましい気もするが、むしろこの大雑把さに説得力を感じる。その道の第一人者はいちいち細かいことまで指導しないものだ。短いアドバイスの中から何を汲み取るかである。
「サザエさん」の舞台で御一緒したことのある小鹿番さんの菊田一夫は、そのそっくりぶりを含めて、主役の森光子の芝居に負けず劣らずの名演技と言われている。私も1度だけ拝見したことがあるが、私が菊田一夫本人を知る由もないのに"そっくりだ"と思わせてしまう何かがあった。それはどこか"たけしさん"の風貌にも似た照れと威厳のあるチック症的な人物像だった。

☆1999年ぐらいの朝日新聞夕刊、渡辺徹「オフステージ」より

芝居のけいこをしていて、うまくいかない時は、他人のせいにすることにしている。
誤解を招く言い方だが、その方が問題点がはっきりするからだ。何だかせりふが言いにくい。そんな時「力不足」と自分を責め始めたら、けいこは停滞する。もちろん十分考え、吟味する。それでもやりにくいと思ったら、相手役にせりふを言う位置を変えてもらう。お互いの向きを見直すというように問題を外に出すと、事態は前進する。文学座の大先輩、杉村春子さんや北村和夫さんのけいこを見ていて、学んだことだ。
けいこ場の密室性からか、内へ内へとこもる俳優が多い。でも、すべてを自分のせいにしていたら、自分の器より大きくならない。「努力したけれど、僕にできるのはここまでです。ごめんなさい」なんていう芝居を見せるのはお客さんに失礼だ。問題を能動的に塗りつぶしていくのがプロの態度。劇団というのは、そういう問題解決がしやすいところだ。
俳優は「演技が巧みだ」と感心してもらうためにいるわけではない。芝居の内容に共感してもらったり、感動してもらったりするために演じるのだ。舞台になんだかおもしろくない役者がいたら、たぶんその人は「人にへただと思われたくない」と考えながらやっているのだと思う。
新劇のあり方として正しいかどうかは分からないが、僕は、「この人に見てほしい」という相手のために芝居のできる人が「いい役者」なのではないかと考えている。個人的な事情は、演技のベクトルをはっきりさせる。観客だって、暗い客席で、それぞれの個人的事情を抱きながら、たった一人で向き合っているのだから、「個人と個人」を意識するべきだと思うのだ。「みんなのために」という最大公約数的な演技では、結局何も伝わらない。
「この芝居のベクトルは嫌い」という観客もいるだろう。でも、そうはっきり感じてもらえれば、それはそれで、いいことだ。「上手ですね」とほめられるより、時には「嫌いだ」と言ってもらえる「いい役者」になりたいと、僕は思っている。

※この言葉は役者として実に興味深かった。戒めでもあり、悩んだ時の道標にもなり得る。実際、指摘のような悩みに陥った時にどつぼにはまり、気が変になりそうになったこともあるので、大いに参考になる。
そんなことを思っていたら先日ある劇場で渡辺徹本人に会ったので、この欄でお言葉を拝借しますとお断りを入れたら快諾してもらえた

2002年6月1日(土)朝日新聞夕刊より
96歳、島田正吾の舞台
沢田正二郎は関東大震災の直後に「新国劇を育ててくださった東京市民をなんとか慰めたい、勇気を与えたい」と日比谷公園で数万人の観客を集めて無料公演をした。島田も阪神大震災の9ヵ月後に「ささやかながら沢田先生のまねごとをしたい」と、神戸でボランティア公演をしている。やはり一人芝居の「白野弁十郎」だった。
たった一人でも、演劇の力は無数の人間に励ましを与えられる。

ちょっと教訓臭いと思う向きもあろうが、私はこの手のお話も好きである。小沢昭一の話で”空襲の後の焼け跡で、誰かがハーモニカを吹いた。どこからともなく大勢の人がそれを聴きにやって来て、やはり随分心が慰められた”といような話も聞いたことがある。”何も無くなってしまった場所で最初に立ち現れる芸能が演劇である”というような話も聞いたことがある。非生産的とも思える仕事にふと疑問を感じてしまうときに、こんな言葉を思い出すと勇気づけられる。つまりはこのことで一番勇気づけられているのは私自身じゃないか!ま、それでもいいか。その私のささやかな表現行動で勇気づけられている人も確かにいるはずなのである。

2002年5月16日(木)徳島新聞
演劇の現場から見る―現代女性史考―より
藤井清美/劇作家・演出家、青年座所属(「居残り佐平次」演出助手)

・・・物語の終盤、お染が客に向かって啖呵を切る場面がある。「わっちら、おまえみたいな野暮な客、相手にしてるほどヒマじゃねえんだッ」。お染の言葉に同調して、対立していたお梅一派も声をそろえ、「そうだッ」と叫ぶのである。
 水谷さんは、この場面に遊女全員が登場することにこだわった。「売られて」きた女性たち全員に、自分たちの思いを一言言わせてやりたいという気持ちからだったのだと思う・・・

「星屑の町/長崎篇」でも演出助手を努めてくれた藤井さんの出身地徳島の連載記事である。確かに全員遊女は登場していた。そこには時間的、状況的にかなりいるのが難しい馬渕英理荷のおぼこ遊女の姿もあった。この記事を読んで水谷さんの意図がはっきり分かった。なんとなくそんなことかなあとは感じていたが、はっきり心に留めていない意識だったので、水谷さんの女性、特に遊女のような負の部分を多く持つ女性に対する気持ちが再認識できた気がする。
藤井さんはあの時代の遊女たちの過酷な生活に言及して、「自分の人生を自分で自由に決定することができる」という程度の自由すら、勝ち取るために日本人は長い年月を要したのであると小さく結論をつけている。そしてこの記事の論評は最後をこう締めくくっている。
 ・・・過去の女性たちの人生に目を向けることで、今の時代の私たちの「自由」もまた違ったものに見えてくるのではないだろうか。
2002年5月17(金)デイリースポーツより
”落語と芝居の演議論”2002年「せりふの時代」春号
春風亭小朝、風間杜夫の対談より

☆役者さんが落語をやるといい。ところが声優さんが落語をやってもダメなんです。声優さんは、声の中ですべてが完結しすぎちゃってるんですよ。うまいんだけど、その先に何も生まれない。結局、何も動かないままでも、それらしい声を出して人情噺をしゃべっちゃったりできるわけでしょう。多少は何か表情があったり、動いたりとかするじゃないですか。それがなくて声だけででき上がっちゃってる。あれがちょっと落語としては違和感がある。(小朝談)
<<わー、手厳しいですねえ(小宮談)>>

☆小朝論”言葉に演技が奉仕している”について
落語というのは基本的に話芸なんですよ。だから声質とかが重要だし、噺家はみんな、名人と呼ばれる方々の話芸を追及するんですね。追求するんだけど、結局、どうやってあの域まで行けばいいのか分からなくなる・・・本とは目の前の壁を乗り越えなくちゃ成長しないのに、横に逃げるんです。何かというと、落語にドラマ性を持たせようとする。それがこの20年くらいの間に多くなってきている。芝居っぽい落語。よく評論家の方なんかが「彼の落語はちょっと芝居っぽい」とかいうのがそれです。でも、それは落語でもなんでもないんです。あくまでも落語の範疇で、ちょっと臭めなだけなんですね
<<”言葉に演技が奉仕している”という捉え方がさすが(小宮談)>>

☆役者が噺家を、ストーリーの中で人物として演じているときはいいんですけど、高座に上がった場面ではどうしてもやり過ぎちゃうんです。それは、噺の本来持っている力が、芝居として演じすぎることで説明過多になって、つまらなくなっちゃうんじゃないかと。例えば酒を飲んだり、蕎麦をうまそうに食ったりする落語家さんの所作はかなり省略された芸ですよね。エッセンスをパッと見せてお客様に想像させるというか、あんまりやらないで多くを見せるみたいなところが、噺としての本質のような気がします(風間談)
<<うーん、分かる分かる(小宮談)>>

☆インタビューなどで「落語は一人で何人も演じて大変ですね」という言い方をされるんですけど、僕はそれを聞くたびに「演じてない、演じてない」って思うんです。落語ってお芝居でいう”演じる”ということと同じ意味では演じてないんですよね(小朝談)
<<なるほど、落語は演じてないのかあ、良い事いうなあ。ここポイントだね!覚えておこう(小宮談)>>

一人芝居と落語の違いとは?
風間・・ひとり芝居にも色んなスタイルがありますけど、僕がやったのは自分が演じるのはずっと一役で、お客様に語りかけるんじゃなく、常に(架空の)相手役がいるんですよ。それを僕のリアクションやせりふで、一体だれと話していて、どんなことが展開しているのかというところを見せていく芝居なんですね。
一方、落語というのは座布団一枚の上で、本当に簡単な所作で、小朝師匠がおっしゃたように何人もの人物を演じるんじゃなく見せていく、お客さんにその世界を語って見せていく・・・一人きりでお客様に対峙しているという意味においては、板の上の孤独感というのは、一人芝居でも落語でも感じますね。それなら何であえてやるかというと、たった一人きりで何か世界を作れたら素晴らしいんじゃないかっていう挑戦なんです。
小朝・・一人芝居と落語の決定的な違いは、風間さんがおっしゃった上下(かみしも)で割るということでしょう。あの形式の違いは大きいですよね。それは落語の特殊なとこなんですよ。
<<なるほど、なるほど具体的で分かり易いゾ(小宮談)>>

落語ハレの日化計画
歌舞伎座で落語をやるのは理由があるんですよ。今の時代、お客様の質が変わってきているんですよね。昔はただ笑えばよかったのが、今はトータルに楽しみたい。例えば歌舞伎を観に行くというのは、お客様にとってはハレの日なんです。だから、その日は資生堂パーラーで食事をしてから歌舞伎を見ましょう。それなら、この間こさえた着物を着たいという話になるわけですね。
でも、落語を聞きに行くときに、この間こさえた着物を着ようと思う人はいないんですよ(笑)「よしなさい、汚れちゃうから」になる。それをハレにするためにはどうするか。一番簡単なのは、まず劇場から変えちゃうわけですね。僕の独演会で歌舞伎座に来るお客さんというのは、見てすぐわかりますけど、寄席のお客さんとは全然違います。これが僕の落語ハレの日化計画・・・(小朝談)
<<さすが大きな事をやる人は言う事が違う(小宮談)>>

※以上、大変長くなりましたが、この落語談義はとても興味深かったのでなるべく細かく記しておきました。落語好きの人なら分かってもらえるでしょう

またまた続いて落語論
2002年10月上席、柳家花禄奮闘公演
史上最大の落語、作・平田オリザのパンフレットより

芸術における前衛とは何か
前衛とは、おそらく、その分野の本質を問う作業だと私たちは考えました・・・落語とは、落語の本質とは何かを探る・・・そのためには、どうしても、「これは落語なのか」「これも落語かも知れない」という地点まで歩を進めなければなりませんでした。
私は、落語の本質は、たった一人で、強い世界観を示せることにあると考えました。一人であることをマイナス札とせずに、一人であるが故に、座布団に座り、扇子と手拭いしか持たないという不自由な身体性故に、かえって、観客により大きな世界観を提示できることが、落語の本質であると考えました。
もう一つ、私たちが合意した落語の本質は、落語はやはりエンターテイメントであるという点です・・・
私たちは、前衛の誇りを胸に、観客が理解できない瞬間を恐れません。しかい、理解が出来ない時間が長く続くことを恐れます・・・(平田オリザ)

※なるほど、この時の新作落語2本(”ヤルタ会談”と”世界動物会議”そして宮沢賢治と谷川俊太郎の詩のほぼ朗読)は、花禄くんの落語家故の技術をもってして落語と呼べる範疇に踏ん張っていた気はする。そして笑いは確実に少なかった。でもそんな10日間興業をやってしまえる彼の底力はスゴイ。
因みに花禄くんも落語のことを”座布団一枚の宇宙”と呼んでいます

2002年7月10日(火)
1997年出演のガジラ公演「PW」に寄せて私の書いた文
今年3月に亡くなった父のことを書いていたので敢えて載せます

第2次大戦初期、私の父は通信兵としてフィリピンにいたそうです。多くは語らぬ父に、「お父さんは、人を殺したことあるの」などととんでもない質問を子どもの頃にしたのを覚えています。勿論答えてはくれませんでした。
そんな訳で、フィリピンという国は私にはある意味がありました。今回私は舞台上でその島に存在します。それも俘虜として。もし父がこの芝居を見たら、息子の姿をどう思い、何を語り、何を黙るのでしょう。

2002年8月16日産経新聞「産経抄」
あるテレビ報道記者に「あなたにとって40数年続けたラジオとは何ですか?」と聞かれた秋山ちえ子さんは「そんなみんなが使う型の質問には答える気にはならない」と答えたという。
黒澤明監督に「黒澤さんにとって映画とは何ですか」と聞いたインタビュアーがいた。すると黒澤監督は「君は馬鹿か」と怒って吐き捨てるように言った。「そんなこと一言で言えるわけがないじゃないか」
それが気の利いた質問か何かのように錯覚しているから始末に終えないのである。

全くその通りであります。あと何の下調べもしないで質問してくる馬鹿な奴も大勢いる。私もあまり大きなな漠然とした質問には答えないか、逆にたしなめたりしてしまう。
でも、自分自身にも戒めの言葉として肝に銘じておかなければ!
2002年9月12(木)
朝日新聞朝刊「CM天気図」天野祐吉、NOVAの子供向けCMに寄せて

・・・近頃「ビミョー」ということばを、よく耳にする。・・・このCMには二元論的なものの見方への、あるいは、ものごとを単純化してわかり急ごうとする風潮への、ちょっとした批評的な視点が感じられて面白い。
そう、ものごと、そう単純ではない。すべてはビミョーだと感じるのがふつうだと思うけれど、ただなんでもかんでも「ビミョー」の一言で片づけてしまうのもまた困る。ものごとのビミョーな違いを表現することばを、ていねいに探していくことが、実は「考える」ということの出発点じゃないだろうか。

なるほどねえ、上手いことを言う。やはり流行りに便乗して楽ばかりしないで”考えなくっちゃ”と思いました。私はこの天野さんの、穿ったことを噛み砕いてくれた文章スタイルも以前から好きでありました
それにしても天野さんの文の漢字の少なさも気になるなあ。これも分かり易いということなのだろうか?
※ちなみに「ビミョー」は英訳すると”I suppose...”だそうで「カッコイイ?」は”Aren't I the coolest?”だそうです。

2002年9月20(金)朝日新聞夕刊
文化欄、神谷不二(慶応大学国際政治学教授)のコラムより
ー曝された国家的犯罪性、小泉首相の北朝鮮訪問に寄せてー

・・・拉致事件やテロ、不審船などの北朝鮮の犯罪行為と、日本がかつて植民地化によって朝鮮に与えた損害を対置して、両者間にあたかもある種の相殺関係が存在するかのような発想をするむきが見受けられる。はなはだ不見識と評さざるをえない。
近代歴史学の祖といわれるランケは、「時代精神」なる概念を説いた。ある時代にはその時代固有の基本的価値観や物の考え方がある。それが時代精神である。ある時代の歴史を解釈するに当たっては、その時代の時代精神を基準とすべきであり、他の時代の時代精神を基準にするのは誤りだ、と彼は言う。
19世紀から20世紀初頭にかけては、植民地所有が先進国の追及すべき価値として広く認められた時代だった。しかし第2次世界大戦後、植民地所有を肯定する考えはすっかり影をひそめた。時代精神が大きく変わったのであった。
かつての植民地支配を現代の時代精神だけで裁断するのは、歴史評価の正しい態度ではなかろう。日本が植民地化について北朝鮮に謝意と反省を表するには、決してやぶさかではない。とはいえ、その不当性と、国家的犯罪性を徹底的に追及されねばならぬ拉致やテロ行為との間に、明確な質的相違があることだけは、はっきりと言っておきたい。

NHK笑百科(土曜の昼)
”人生バラ色、お喋り七色” 笑福亭仁鶴がレギュラー回答者の上沼恵美子を紹介する時に使うキャッチフレーズ

2002年9月28日朝日新聞
パッチ・アダムス氏(医師)
道化師の格好で病院や施設を訪れ、患者を笑わせて癒す。ロビンウィリアムス主演の映画のモデルにもなった実在の方。

「現代医学の問題点は、医者の傲慢さにある。彼らは複雑な検査や投薬を簡単にこなす技術は持っているが、たった30分間、患者と話すのに苦痛を感じてしまう。病気の子供や見舞いの親が目の前にいても、ずっとカルテを見つめている。病人や悩んでいる人たちに手をさしのべたり、勇気づける言葉をかけたりはしない。医学部では、思いやりの大切さを教えられないし、学ばないからだ。でも医療とは、彼らに対して何をしてあげられるかを考えることではないのか。技術は医療のほんの一部なのだ。」

この頃父の死や友人の病気、自分の体験なども含めて病院や医者に接することが多くて、上のような当たり前のことがなされていないことが本当によく分かったのである
「龍さんの事」伊東四朗(2003年「アシバー」公演のチラシに寄稿)
水谷龍二氏とはじめて仕事をしたのは四半世紀程前、テレビ朝日で日曜の正午からやっていた「ゲラゲラ45」なる番組だったと思う。その縁で私の初座長の名古屋中日劇場での商業演劇(変な云い方)を書いて貰ったのが二十年前。その後、新幹線並のスピードで月日がたち彼の演劇界での活躍は周知の通りである。一昨年は歌舞伎にも進出し、勘九郎さん主演の「愚図六」なる作品は学生時代入った立見席の懐かしさと共に嬉しくなるほどいい作品だった。
数年前、市川崑演出の正月TV時代劇があまりにも素敵な喜劇だったので思わず感想を書いて手紙を差し上げた所、これ又思いがけず返事を戴いた。「喜劇として観てくれて有難う。小生も師匠から、しっかりした喜劇を撮れてはじめて一人前なんだよ。と云われた事を思い出しました」
我が意を得たり。喜劇から始めた水谷氏は、この世紀益々大きくなる。怖いね。

名優が名文家であることは多い。伊東四朗さんもその一人につながる気がした。しかも喜劇に言及しているところが、まさしく私にとっても”我が意を得たり”である。私がロンドン演劇留学で目指しているのも、そして一生学んでいきたいのも喜劇の勉強である。それにしても市川監督にあんな事を言えるのも凄いなあ



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