☆20年ぶりの道劇日誌

〜実はコント修行時代にも私は日記をつけていたのです。今回は、その復活です〜

2003年3月9日
コントの稽古開始。共演は石井光三オフィス若手のコントグループ“スリーパー”、ツッコミは西本、ボケは揚妻(あげつま)。
DgakuyaA写真左が揚妻、右は西本。真ん中で板前のような格好をしているのが私。
ネタは私の原案を“女ひとりコント”の楠美津香に台本化してもらう。彼女は私と同じく道劇のかつての仲間でもあった。切れの良いネタを書く才女だ。
ネタは2種類あって、1本は渋谷の西武と東急の争いを描いたミュージカル風コント、題して「渋谷ウェストサイドストーリー」。もう1本は道劇の踊り娘さんも使った家庭コント。父娘の家に求婚者がやって来るが、実は娘は多重人格(1役を踊り子さんとスリーパー揚妻が交互に演じる)で、彼が翻弄されるという設定。踊り娘さんには難しい段取りやセリフは無理だし、後半はプロレスになっていったりするラフな展開を予定している。
今の道劇は劇場のそばのマンションに鏡張り、フローリングの立派な稽古場がある。今日からここでネタ作りである。今日は立ち稽古というより、本読みと改めてのネタ出し、物語の起承転結作りが中心だった。無名塾の千寿えつ子が稽古の手伝いに来てくれた。ネタ出しの時に彼女が結構笑ってくれたので、何かいけそうな気がしてくる。


3月11日
コントとは関係ないが、今日は私の47歳の誕生日。わあ、もうすぐ50だよ! 鎌倉で1日中ドラマ撮影。犯人の一人の役なので、今日の昼は人を殺したり夜は殺されたりする。
由比ガ浜の海岸近くの川で本田博太郎さんと追い掛け回されナイフで刺し殺される場面は正直寒かった。特に死体になって川に浮かんでいるカットは、凍えるし、動けないし、川に流されるしで大変だった。
役とはいえ“誕生日に何やってるんだろう?!”と思ったが、家に帰ったら嫁さんが暖かいご馳走を用意してくれていた。ありがとう。


2003年3月13日
朝ドラマの撮影があって、昼過ぎから2回目のコントの稽古。今日は練習したら、前回あった自信がなんだか無くなってしまった。どうしよう。
3月14日
昼間稽古。考えたネタを全部盛り込むと随分長くなりそうだ。どうしよう?
今日も鎌倉で夜ドラマ撮影、深夜に及ぶ。


3月17日
夕方稽古。コントの時間を計ってみたら、両方とも10分はある。まずい。ネタの時間を詰める作業に入る。
夜、青年座の芝居「乳房」観劇。脚本に言葉が書かれ過ぎていると思った。終演後に演出の宮田慶子さん主演の猪野学くんと飲む。


3月18日
昼稽古。道劇スタッフの人たちが“よく稽古をする連中だな”という顔をしているた。
夜は、こまつ座「人間合格」観劇。脚本が喜劇として成功しているとは思えないというのが正直な感想だった。梅沢昌代さん松田洋治くんらと飲む。同じ店に佐藤B作さんもいて、いつものようにわざと嫌味を言われた。これはほとんど冗談ののりなのだが、B作さんは何故か私に冷たく当たる。今日も私と梅沢さんを明らかに区別していた。うーん負けないぞ、いつか仲良しになってやる。


3月19日
早朝からのドラマ撮影のあと一時帰宅。夜8時から稽古。これが最終稽古になる。
スリーパーの細かい演技やリアクションが気になりだして、いつもより厳しく駄目出しをし始めたら2人ともボロボロになる。基礎が足りないのと他人に指示されたことがないからだろう、演出を受けてそれを聞き入れ、なお自分を保つことがほとんどができない。色々言ったら最初より悪くなってきたので、駄目を出すのはやめた。きっともう軽いパニックなのだ。後は誉めるに限るのだが、どこを誉めていいのか分からない。困った。
ネタの時間はなんとか7分に収まるようにした。
初日の朝練までにビックリするぐらい彼らが上手くならないかなあ。なる訳ないか。

イラク戦争勃発。米英軍がフセイン政権を攻撃し始めた。大統領の隠れ家を狙った巡航ミサイルのピンポイント攻撃で戦争は始まった。えらい事だ。 フセイン負傷説や影武者説やら憶測は色々とメディアから流れる。

3月21日
いよいよ初日。これまで舞台を使った稽古ができなかったので、朝9時半から劇場に集合。
驚くことに、劇場前にはすでに10数人の客が並んでいる。祭日だとはいえ最近のストリップファンは熱心である。
開演前の空舞台でプロレス技の練習。西本が嘘芝居をしているので「本気で当てろ!そんなことぐらいで痛がるようならお笑いやめろ!」と喝を入れる。初日の本番を前にして私もテンションが上がっているのだろう。いつもは後輩にこんな強気な発言はしない。
音響スタッフさんにコント前のナレーションを録音してもらい、もうこれ以上準備することはない。思いっきりいこう。
12時、道劇のショウが始まる。現在の道劇社長の清水ひとみさん、彼女の育ての親で私も昔からお世話になっている矢野社長、我が事務所の石井光三社長らがロビーで屯している。皆さんにこやかだが、それなりの初日の緊張感。石井社長から私やスリーパーに初日のご祝儀をいただく。幾つになっても、現金はやはり嬉しい。
1時25分、第1回目のコント。舞台裏暗くて狭い階段で出番を待つ。この時間、この臭い、20数年前の記憶が蘇る。“ああ、こんな時代があったんだ”という郷愁と今のちょっとした緊張感。これだ!これを確かめたくて今回の道劇コントの再挑戦なのだ。
舞台に西本登場「渋谷ウェストサイドストーリー」が始まる。続いて揚妻が“COOL”を歌いながら登場。最後に私が白いユニフォームの東横のれん街のおじさんで登場。初日で満杯のお客さんの反応は、私の想像以上に暖かい。ここ渋谷の町にふさわしい西武と東急のネタはかなり受けた。シュールな替え歌もなかなか受けが良い。
コントが終わってロビーに行くと矢野社長が「ストリップ劇場で、あれだけ受ければ十分だよ。若手もよくやってるな」とスリーパーも誉めてもらった。石井社長も上機嫌だ。その勢いで“勝一”のとんかつをご馳走になる。ここのとんかつは美味い。細切りキャベツも美味い。修行時代はこのとんかつをご馳走してもらうのが楽しみだった。舞台が上手くいったので、今日は格別に美味い。
4時28分、2回目。このステージはスリーパーの持ちネタ刑事コントを主に、最後に私が絡む展開。予想通り客席からの笑い声はほとんど無くて、2人は苦戦している。芝居も声も上滑りだ。仕方がない、これも経験だ。
私の出番はコロッと態度が変わるとか、はずしネタだけの超ベタなギャグだが笑いは取って一応の役目を果たしてオチ。
6時半、最終回のコントに出てもらう踊り娘さん愛唯(あゆ)ちゃんとネタ合わせ。
7時前に明大落研の同期の柿沼くんが、レコード会社や出版社、フリー女子アナ、タレントの恵子先生などを引き連れて劇場に訪ねて来る。コントを見るだけだよと言ってたのに全員ストリップも見ていた。
7時25分、3回目のステージ。1回目と同じ「渋谷ウェストサイド」。コント終わりネタのモー娘の替え歌で客席からテープが飛ぶ。昔のコントでは考えられない盛り上がりをしてくれた。道劇ファンの皆様ありがとう。
休憩時間に、さっきの団体さんが楽屋に来て小宴会。彼らにも、コントは評判がよかった。ホッとする。
10時20分、最終回第4回。私がお父さん、愛唯ちゃんが娘、揚妻はその娘の二重人格のもう片方。つまりそれがこのネタの唯一の味噌。片方は可愛くて、片方は乱暴者という構造で、求婚者の西本が翻弄されるコントである。ちなみに揚妻が舞台で着るピンクのサテンのけばけばしい衣装は家の嫁さんの手作りである。感謝。
DgakyaB
左のピンクの衣装を作ってくれた嫁さんも交えて記念写真。お揃いのパンツも揚妻は穿いている。

コント初出演の愛唯ちゃんは最後の出番の時にスカートを脱いでパンツ丸見えで出てくる段取りを忘れてちょっと出トチリ。おまけに私が「どうしたんだ?」と聞くと、咄嗟に答えたアドリブが「追いはぎにあったの」。いまどき“追いはぎ”という言葉も古い。あの若さで(多分20代前半)そんな言葉を使うのが可笑しかった。
最後に全員でプロレス大会になり大乱闘。愛唯ちゃんのフライング十字チョップや、私が揚妻のドロップキックで吹っ飛ぶのを見てお客さんも大喜び。これが道劇時代のコント赤信号の姿である。狙い通りだ。よしよし
。 道劇の女の娘にコントに出てもらって、少しでも踊りの時とは違う彼女たちの素顔を見せたいというのも狙いである。一緒に出てくれた愛唯ちゃんに感謝!
関係ないが、それにしても愛唯ちゃんは巨乳だ!
終演後、柿沼ご一行と初日打ち上げ。親父コントの私の着物姿、いかにもストリップ劇場のコントらしい適度ないい加減風味の評判もよかった。確かに今時“お嬢さんをください”なんていう古臭い始まり方をするコントは誰もやらんだろう。


3月22日
2日目。私が楽屋入りするとスリーパーの2人が自分らのネタを
昼過ぎに私のラジオ番組、FM新潟のディレクターとアシスタントの女の子が来る。今日はスタジオを飛び出して、なんとストリップ劇場の楽屋で踊り娘さんを交えての収録なのだ。道劇出身の私ならではの企画。
1回目、客が明らかに昨日より少ない。反応が予想より鈍かったので、思わずきっかけを忘れてしまい焦る。いかん、いかん。
1回目のコントはうちの事務所の若手女子マネージャーと後輩ピン芸人の“なかのよいこ(女性)”も見に来ていた。
終わって、ラジオの収録開始。インタビューに応じてくれるのは愛田桃子ちゃんと朝川留衣ちゃん。聞いていて判ったのは2人とも前はクラッシクバレーをやっていたこと。どおりで昨日の連中が彼女らの体の鍛え方に感心していたわけだ。それと留衣ちゃんが踊っているのは、月に10日(ストリップでは10日が1単位)だけで、他の日は居酒屋でバイトしているというのにも驚かされた。うーん、じゃあ、どうしてこの仕事をやってるの?おじさんには分からん。
とにかく楽屋の化粧の香りが届くような番組が出来た。
2回目。スリーパーのネタは昨日より落ち着いてやっているが、客が少ないので受けは却って悪い。受けが悪くても堂々と演じられるのが“笑い”の基本の一つである。 2回目を終えて再びラジオ収録。
3回目、「渋谷ウェストサイド」で面白いくらいに客席が静まり返る。全然受けないその様が自分でおかしくて張り切ってしまう。最後のたたみかけギャグはそれでもはまった。
昔、「笑ってる場合ですよ」でアルタの客を大爆笑させた直後に道劇に戻ってきて、さっきと同じネタをやったら全く受けなくて、その静かさがおかしくてたまらなかったことを思い出した。“多分俺たちは一生天狗になることはないなあ”と、そのとき思った。
さて、今日から楽屋で自炊を始める。炊飯器やら食器、鍋やら各々が持ち込んで食費を安くあげようという作戦。これは私らの道劇時代もやっていた。当時、共同募金のネタをやっていたら酔客から本当に金が集まり、杉先生の指示でその金で炊飯器を買ったのがきっかけだった。今日は家の嫁さんが作ってくれた食材に、愛唯ちゃんが差し入れでもらった餃子を頂く。20数年ぶりの楽屋の飯が美味くて懐かしい。
帰りに3人で飲む。


3月23日
こともあろうに揚妻が大遅刻して1回目のステージを出トチる。急遽、西本と2人で道劇懐かし話をすることにした。本番まな板ショウとか杉兵助の話で盛り上がる。最後は西本のパンツ姿でポラ撮影(注:現在のストリップ劇場では、踊り娘さんのステージをお客さんがポラロイドで撮るショウがある)する。結局コントより喋りとポラの方が受けてしまった。じゃあ何のためにコントやってるんだ?
コント終了間際に揚妻が来る。舞台に参加しようとするので怒って追い返す。舞台をなめるんじゃない!踊り娘さん、スタッフさん全員に謝りに行かせる。明日はトチリ蕎麦(注:芝居の世界では出番をしくじると、次の日に楽屋中に蕎麦を振舞うペナルティのしきたりが昔はあったらしい)ならぬ、トチリ昼飯を皆さんに振舞うように命じる。それと明日の2回目のコントは、さっき私らがやったようなお喋りを一人でやれとペナルティを課す。
重たい空気が流れるコント楽屋を、西本が昨日の夜から煮込んでいたというカレーが救った。“自信があります”と言っていただけのことはある。美味い食い物は場の雰囲気も変えてくれるのだ。
カレーがたっぷりあったので踊り娘さんにも振舞う。そしたらお返しに愛唯ちゃんから差し入れを又もらってしまった。なんか食い物の心配を全然しなくていい日々になりそうだ。
3回目のステージの時に飲み屋の知り合い軍団が観に来る。西武VS東急ネタを喜んでいた。


3月24日
12時に楽屋入りすると、スリーパーの2人が"トチリサンド"を作っていた。揚妻が自腹で買ってきたハムや野菜のサンドイッチがすでにいっぱい並んでいた。だいぶ前から作っていたようだ。
1回目のステージ終了後、踊り娘さんたちの楽屋で"トチリサンド"で楽しくお食事会。お姉さんたちと一緒なので、スリーパーたちがウキウキしている。非常に分かりやすい奴らだ。
2回目のステージは、昨日の約束通り揚妻の一人喋りで始める。意外にしっかり喋っていた。後から私たちも登場。今日は師匠の杉兵助の写真を持って出てみた。あとで「天国の杉先生も喜んでくれるわよ」と清水ひとみさんに声をかけられたのが嬉しかった。
舞台を終えて楽屋に戻ったら「口の中の水分が、からっからになっちゃった」と揚妻がぼそっと漏らす。やっぱり相当緊張してたんだなあ。ハハハ!
今日から"お嬢さんをください"コントの娘役は愛田桃子ちゃんにバトンタッチ。楽屋では案外おとなしい桃子ちゃんだが、舞台は愛嬌があってなかなか面白い。実は彼女は桐朋学園で演劇をやっていて、クラッシクバレーの経験もある。コントに出るのが楽しいのかも。だったら、もっと台詞もある役をやらせてみたいなあ。
4回目のコントの時に、このHPの掲示板でもお馴染みの天才中村スペシャルさんが友達を連れて観に来てくれていたので、一杯やる。その友達は31歳の役者さんで、明日ガジラの芝居のオーディションがあるというので、私が鐘下作品に出て思ったことなどをアドバイスする。
早めに飲み会を切り上げて帰宅。明日の楽屋の食事、ポトフの準備をする。1回だけ私も料理を作ると約束させられてしまったのだ。
下ごしらえが出来た後、この日記をHPで初公開。相当深い時間になるが、嫁さんと飲み直す。


3月25日
朝から雨。12時楽屋入り。
今日は私が食事当番だ。早速、昨日の晩から仕込んでいた鶏肉を使ってポトフを作り始める。最近お得としている私のメニューだ。出番前に野菜も肉も大体煮込み終えた。
雨の平日の、それも1回目なのに客がいっぱいいる。今日は年齢層が高い。
ステージ終了後、ポトフのお目見え。自分ではまあまあの出来栄えだったと思う。2人も熱々のポトフを美味しそうに食べていた。
ナイロンの100℃の芝居で知り合った、たまの知久さんから昨日CDを送ってもらったので、楽屋で聞く。たまの音楽はは良い。「あるぴの」が特に好きだ。
2回目のステージは音響さんがナレーションを間違えたこともあって、かなり寒い展開だった。当然スリーパーの持ちネタの部分はスベリまくっていた。かなり分かり易く指導したつもりなのだが、5日間では目に見えるような上達は残念ながら無理だな。2人は明日から違う刑事のネタに変えることにした。こういう劇場で堂々と楽しそうに演じるには、ある程度の時間が必要なのだろう。自分の経験を思い出してもそうだった。
7時前に、今回の台本を書いてくれた楠美津香が観に来てくれたのだが、こんな時に限ってまたまたひどく受けなかった。彼女はニコニコ楽屋に来てくれたけど。
8時過ぎには我が事務所の中町マネージャーとデブタレントの内山くんが遊びに来た。


3月26日
昨日と打って変わって快晴。春を感じる。
1回目の出番前に今日からスリーパーがやる新ネタの稽古を見る。殺人現場を捜査する刑事のコント。どうも流れが素人臭い。出番前には手直しし切れず。
1回目のステージ。客が満杯である。どうやら早朝割引があったらしい。コントは受けた。
昼食。今日は豚の水炊き鍋。キッチンが汚れるので炒め物はしない方針なので、煮込む料理ばかりが続く。でも美味かった。
スリーパーのコントの稽古を続ける。やはり芝居が形だけの段取りだ。どうしても駄目出しが細かくなってしまうが、色々と注文を出す。小ネタの連続だが、ベタなギャグもあるのでいけるかなあという気持ちと大丈夫かなあというのが半々である。タイムリミットで本番に臨んだら、初めて2人だけできちんと受けた。
それでもすぐに稽古をし直した。もっと確かな出来栄えにしないと。そのためにも彼らは絶対に基礎レッスンを受け直すべきだ。ここは先輩として厳しくいく。
7時前に稽古を手伝ってくれた無名塾の千寿えつこが来る。彼女は里芋の煮っ転がしを持ってきてくれた。このあと愛唯ちゃんからも差し入れの食べ物や飲み物をたっぷりもらってしまったので、夕飯は只みたいなもんになってしまった。家の嫁さんも来て、千寿と一緒に「渋谷ウェストサイド」を観る。1回目から6時間以上も見続けているお客さんも多いらしく、客席が満杯の割には反応が鈍かった。でもコントの始まりと終わりには大きな拍手があったので、コントの存在は認められているようだ。
嫁さんも交えて夕食。こんな所で嫁さんを含めて一緒に飯を食べているのが不思議だ。後で彼女に聞いたら、ストリップ劇場だからもっと窮屈できたない楽屋にいるのかと思っていたら広くてきれいで快適な部屋なので驚いたらしい。確かに昔のコント部屋は大変だった。そのときの興行の具合で、しょっちゅう踊り娘さんたちの楽屋を転々とさせられた。畳2畳分ぐらいしかない部屋に杉先生と我々赤信号の4人が押し込められたり、離れのGパン屋の2階の劇場の倉庫兼、作業場兼、競馬の飲み屋兼を長らく楽屋にしていたこともあった。


3月27日
昨日よりもさらに春の気分。
こちらの知らない間に1回目のステージを石井久美子マネージャーが観に来ていたが、まあまあ受けているところを観てもらえたのでよかった。
2回目のスリーパーのネタは私の予想通り昨日のようにお客さんに受け止められるという訳にはいかなかった。でも明日もう1回このままやって、それから手直ししよう。ねばることも必要だ。
2回目と3回目の休憩時間にロベルト・ベニーニの新作「ピノッキオ」を観る。私にはあまり面白く感じられなかった。主役のベニーニが喋り過ぎるし、会話でのアップの切り返しが多いの気になる。操り人形たちを人間がそのまま演じる発想は悪くないと思うのだが、それがそんなに有効に活かされていない。
今日は劇場前の喜楽のラーメンを久しぶりに食べる。台湾人一家のお店の人たちとも昔馴染みである。この店は、焦がしネギのスープと太目の麺で東京ラーメンの中でも有名な店である。杉先生がよく食べていたワンタンメンを注文した。付け合せのモヤシもチャーシューも、もちろんスープも麺もやはり今でも美味しい。
最終のコントをダチョウ倶楽部の肥後婦人が観に来てくれた。彼女も当時の道劇コントチームの仲間である。最終回には読売新聞の記者の方たちも来ていたので飲む。


3月28日
今日も好天が続く。
1回目の出番前のことだ。東横のれん街のおじさんの白衣の衣装姿で表を歩いていたら、通りかかった若者に「もう芸能活動はしてないんですか?」と真顔で聞かれる。きっと料理屋かなんかで働いていると思われたんだろう。ハハハ。笑い事じゃない!
昼食はハンバーグ。このところ睡眠不足気味なので食事後は爆睡。
2回目のスリーパーのネタも受けは湿り気味。流れのつなぎ方が悪いのだと思う。ステージの後に楽屋でネタの作り直し。要らない部分をカットしたり、ツッコミの言葉の選び方やリアクションを細かくチェックする。
2人が今晩の飲み会の買出しに出ている間に丘野愛唯ちゃんから借りている映画「ピンポン」のDVDに入っているおまけ版、宮藤官九郎監督・荒川良々主演の「ティンポン」を見る。軽くて遊び心のある短編。
6時、いよいよプロ野球の開幕。巨人・中日戦をTV観戦。やっぱりこうやってナイターを観るのは楽しい。アンチ巨人の私としては中日が逆転勝ちしてザマアミロだったし。でもご贔屓のヤクルトも開幕戦を落としてしまった。残念。
最終回を学生時代からの親友、山岸が観に来る。彼も道劇時代の我々のことをよく知っていて、一時期は私たちより杉先生と仲が良かった。私が杉先生の言いよどむギャグを真似しているのを見て"あのギャグは形でやっちゃ駄目だ。本当じゃなきゃ"と小言を言われる。
終演後コント楽屋で道劇チームの踊り娘さんたちを招いて飲み会。メイン料理は水炊き鍋。この飲み会はスリーパーの念願のパーティーだ。2人ともお姐さんたちが来る前からそわそわして尋常ではない。ところがいざ彼女たちが現れるといきなり固くなって、料理や飲み物のことで内輪もめをしたりしている。不器用な奴らだ。まあ私らもそうだったのかな?それでも酒が入るにつれみんな砕けてきて、特に愛唯ちゃんが揚妻のミュージカルコントの唄"Say Yes"が好きと言い出してからは盛り上がり始めた。清水ひとみさんも参加してくれてスリーパーの下ネタの質問にも積極的に答えて座を盛り上げてくれた。


3月29日
本日もぽかぽか陽気。出掛けにコートを着ていくかどうか迷う。
スポニチに今回の道劇出演の記事が載る。1ヶ月くらい前に取材を受けたものだが、イラク戦争もあって載るのが遅れた。小さめだが写真入の1段記事。でもそれだけの記事なら扱いは良いんじゃないだろうか。同じ紙面には西田敏行さんの退院の記事が大きく報道されていた。"西田さん退院おめでとう御座います。禁煙なさるようですので私も「すっから母さん」の控え室では煙草は吸わないことにいたします。"
土曜日で満杯なのに反応が鈍い。ここ数日舞台に立って、どうもリピーターのファンが相当多い気がする。ネタの組み換えを1日単位だけでなく、10日間興行のことも考えて前半後半の対応も考えておくべきだったかも知れない。ひとみさんが書いてきた台本も含めて考えているのだが、良いアイディアが出ない。それに、これからどれだけ練習できるかと思うと踏ん切りもつきにくい。
本日の昼食の献立は揚妻が作ったクリームシチュー。調理している手つきからして心配だったが、出来はまあまあ。料理の腕は一人暮らしの西本の方が上のようである。 昼食後のひと時を競馬で楽しむ。昔も先生たちと馬券を買って楽しんでいたこともある。ギャンブルはほとんどやらない私も少し期待したが、結果は揚妻が馬連を小さく当てただけに終わる。
夜はムルギーのカレー。ビルは新しく立て替えているが室内の侘しい感じは昔のままだ。コックさんの帽子のように盛り上げる硬めのライス、横に添えた甘いたれ、ほとんどの具が溶けるほど煮込んだカレー、特徴はあるのだが何故900円もするのかは分からない。厨房の奥でかなり高齢のお婆ちゃんが今でも店を牛耳っているのが印象的だ。
連日飲み過ぎなので嫁さんからブーイングも出ている。本日は終演後は家に直行。


3月30日
行きがけの公園で、あちこちの桜がピンク色に染まり始めている。まだ3分咲きというところか。来週は花見でもしたいものだ。
今日は花咲実優ちゃんのデビュー1周年イベントあり。
DgakuyaC
踊り娘さんの楽屋で実優ちゃんとツーショット。この頃には慣れていたが、最初は化粧の匂いと衣装の香りでベテランの私もくらっときた。


日曜日ということもあってか今日も立ち見までいっぱい。でも「渋谷ウェストサイド」の本ネタの受けは湿りがち。今日だけのアドリブを増やして何とか盛り上げる。
昼食はキムチ鍋。嫁さん手作りの有機野菜・化学薬品無添加白菜キムチを元に肉・豆腐・ニラなどと味噌味を足して出来上がり。今日は成り行きで私が作ることになってしまった。
先週の愛唯ちゃんデビュー3周年イベントに続いて、実優ちゃんの1周年記念の司会を担当。サイコロの出た目のカードを持っている人に実優ちゃん特製のスポーツタオルと実優ちゃんとのツーショットポラ。どう見ても私よりも年配の真面目そうなおじさんが嬉々として実優ちゃんとのツーショットを撮っていく。あんな写真は、いつどこでどういう状態で見るのだろう?他人には見せられないだろうにねえ。自分一人で記念にしまっておくのだろうか?それにしても裸の写真が欲しいというのは分かるが、普通のスナップのポラを撮ったりするファン心理が私には分からない。ストリップ劇場の踊り娘さんのアイドル化ということなのだろうとは思うが、それを支える彼らの存在が不思議だ。
ところで、今日私のHPの掲示板を覗いてみたら"たま"の石川さん本人から書き込みが入っていた。先日見させてもらった"たま"音楽担当のダンダンブエノ公演のお礼。そしてネットニュースで見た今回の道劇出演記事を見ての応援コメント。ロンドン留学の前にして道劇出演はカッコィイと書いてくれたのが嬉しかった。以前に道劇出演中の踊り娘さんから"たま"の曲を使ってますと石川さんに連絡があったこともあるというコメントも。どこにどんなファンがいるか分からないもんである。"たま"とストリップ。これがミスマッチの魅力だろうか。
夕方にお客さんがドドッと来る。明大落研の柿沼(現在は寄席文字のプロ橘右門)はステージや楽屋風景の写真撮影に、コロンビア音楽の真柄さんはお仲間を3人連れて観に来た。2人とも初日にも来た人である。そしてダチョウ倶楽部の肥後がデンジャラスの佐藤ノッチを連れて遊びに来た。
3回目のステージではリピーターのお客さんには西武・東急ネタの受けが渋くなっているので、細かい新ネタを入れ替える。アドリブも含めて新鮮味はあったようだ。
ステージが終わったあと、肥後とノッチが最終回のコントに急遽出ることになったので"お嬢さんを下さい"コントにどう絡むか稽古する。元々娘が多重人格という設定なので肥後やノッチも入れ替わり登場することに決定。踊り娘さんの楽屋からハデハデの衣装も借りてきた。そこへ真柄さんグループ4人も楽屋に遊びに来たので部屋がごった返す。皆さんには楽屋特製キムチ鍋を振る舞う。なんか今日の最終回は凄いことになりそうな予感。柿沼もさっきから楽しそうにカメラのシャッターを切っている。
そして最終4回目のコント。この日のお客さんは最初からのっている感じだった。そこへ肥後が登場したので"オオー"と声があがり、肥後も暴れまくったので大盛り上がり。私の恥ずかしポーズでポラも撮られてしまう。最後にノッチが良い感じでスベッてくれてオチ。暗転中に肥後が"懐かしかったあ!"と興奮気味に漏らす。
柿沼や真柄さんたちも大喜びだった。それに、この回は踊り娘さんたちも何人かコントを客席から楽しんでいたようである。素敵な夜だ。
大勢で打ち上げ深夜に及ぶ。肥後が明日も遊びに来ますよと約束していった。飲んだ勢いの発言だとしても嬉しいじゃないか。でも本当だろうか?
higo
肥後たちも含めて楽屋で記念写真。踊り娘さんから急遽衣装を借りたりして飛び入り出演。出番前の記念写真。どう見ても馬鹿な集団である。


3月31日
千秋楽。11日間なんて短いと思っていたが、やはり1日4回のステージはそれなりに疲れる。正直やれやれという気にも少しなった。
朝の挨拶に行くと昨日の肥後の乱入ニュースを清水ひとみさんも矢野社長も喜んでいた。
石井社長から預かった打ち上げ用の酒肴料を持って久美子マネージャーが1回目の舞台を観に来たが、感想も言わずにあわただしく帰る。
最後の昼食は鳥カツの出前に卵スープ。この10日間はスリーパーにとっても実に経済的で栄養豊富な食生活だったと思う。差し入れもたくさんもらったし、食べ物のことは大満足の日々でした。
昨日に続いて肥後がコントに参加。飲んだ勢いのシャレ発言じゃなかった。しかも今日は3回目の「渋谷ウェストサイド」から出演。ノッチも来る。
最終回のコントは肥後が親父の役を、私が求婚者の役に入れ替える。肥後がパワフルに最初から飛ばす。私も負けじと応戦。アドリブも含めて今日も大盛り上がり!

例えば、こんなアドリブのやりとりがあった。

 多重人格の娘のことを肥後が説明しながら
肥後「さっきのがエンジェルス愛唯。こっちがサダム愛唯」
小宮「なんで1人なのにエンジェルスっていう複数形なんですか?」
肥後「・・・・・・」
小宮「サダムは影武者がいるから、それでもう複数なんだ!」
肥後「ナイスフォロー!」

これは結構受けた。

とにもかくにも久しぶりの道劇ライフが終った。
石井社長や矢野社長からもらった打ち上げ代と食費の残りがあったので、今日は豪華に打ち上げだと勢いづく。劇場横の明石寿司でスリーパーと家の嫁さんの4人で打ち上げる。人数はしょぼかったが、食い物は豪勢だった。値段の高い方から好きな寿司を注文していった。中トロ、ウニ、鮑の煮貝、穴子、春小鯛、イクラ等々。若い2人でも腹いっぱいになるほど食べたら、私の予想をはるかに越えたお勘定がきてしまった。まあいいか。しかし皆さんから頂いたご祝儀があって助かった。


4月4日
あれからすでに4日が過ぎてしまった。これといって何もしないでいると、あっという間に時間が過ぎていく。やはり目的と意義のある日々を過ごさないといかんなあ。

私にとって20年ぶりの道劇生活とは何だったのだろうか?
もちろんロンドン演劇留学の前に自分の歴史を確認しておきたかったというのもあるだろう。後輩を責任持って面倒見るという側面もあった。名目は主にその2つであることは確かだった。でも実際の私は、どう感じて過ごしたのだろうか?
初日。思ったよりも受けた。稽古段階では不安だったが、道頓堀劇場では良いネタのコントをやれば、ストリップとはいえそれなりに受けるという劇場の雰囲気は変わっていなかった。渋谷という立地条件や歴史がそうさせるのだろう。アイドルの追っかけ状態にも似ている道劇ファンの視線も暖かだった。 そして私自身も思ったより冷静にそれらを受け止めて対応できたと思う。4年前から始めているパンタロン同盟のきついネタ作りの経験が少なからず自信につながっているのも事実だ。その経験はコロッケの「西遊記」の舞台でも役に立った。結局私は芝居も大好きだが、コントも楽しいと感じている。道場の完成形を目指す芝居と違って、アドリブもあるようなラフな構えのストリップのコントは、より活き活きとしたライブパフォーマンスである。これに対応できる快感は、良い芝居が出来た時と同じである。当然のことながら、お客さんを喜ばせる喜劇としては根本的には変わるところはないのである。
芝居だけで硬くなりそうな頭は、こういう柔軟さを要求される場所でほぐしておくべきだと最近つくづく思う。それが今後の私の喜劇人としての生き方に役立つはずである。
スリーパーの指導の役目は果たせたのだろうか?私としてはかなり厳しく接したつもりである。ただ、演劇的な駄目出しが多かったから、充分理解はしてもらえなかったかもしれないなあ。でも伝えるべきは伝えたし、宿題や課題も提出した。後は彼らがどう真剣に受け止めるかである。彼らの喜劇に対する接し方を見ていると足りない所ばかりが目に付く。はっきり言って相当今回のことでショックを受け、芸に対して真摯に立ち向かわない限り喜劇の世界でプロとして生き抜くことは無理だろう。最終日の打ち上げの深い時間に悔し涙を流していた気持ちを忘れないで、今を大切に励んで欲しい。健闘を祈る!



  [トップ][プロフィール][近況報告][舞台歴][海は友達][掲示板]
[こんなもの描きました][こんなもの書きました]