5月1日(土)
お待ちかね、カレーを作って嫁さんに食べさせる。今回は私の好きな豚肉のカレー。一人暮らしで腕前を上げたので、出来は上々。やはり日本のカレーは美味い。ボリウムもたっぷり!

夜はHampstead Theatreで「Follow My Leader」を観る。この劇場もフリンジの雄である。ブレア首相とブッシュ大統領を皮肉った、政治バラエティショーをミュージカル仕立てにした趣き。
それぞれの政治家を演じた役者のそっくりさんぶりに客席は大いに沸いていた。結果的にはブレアが、物語の要のところに登場してくる絶対的な支配者(神のような悪魔のような存在)との約束に背いて、腰ぎんちゃくのようにブッシュについていくしかないというオチで終っていたが、私の理解できる英語の範囲内では政治の深さには触れていなかったと思う。歌入りの政治コントと思って、そう遠くはない。

劇場はとてもきれいな中劇場。Swiss Cottage の地下鉄の駅を出て地上に出たところで場所を尋ねたら、眼の前に劇場はあった。日本の不動産屋なら徒歩30秒と書くところだろう。外観は倉庫に近い感じだが、中にはオシャレなバーもそろった素敵な場所である。
帰りはSwiss Cottage から試しにバスで帰ってみた。ちょうど来たバスに飛び乗ることが出来た。これはそのバスに乗ろうと走ってきた私たちを見て、停留所にいた若い女性がバスを引き止めてくれたからである。意外にこういうところにイギリス人は親切なのである。


5月2日(日)快晴
カレーは食べでがある。2人で2食分食べてもまだ余る。
それだけのことです。

昼から家にこもって、「JAIL TALK」練習。
今日の夜には、近所のピアニストの家でパフォーマンスがある。きょう子さんの紹介の家である。
普通の家であるからして、音響スタッフもいないし設備もない場所ので、嫁さんにCDウォークマンを使って音響の手伝いをしてもらうことにする。
その練習もしながら、台詞を食っていると、彼女は隙を見ては階下の大家さんの猫を私たちの部屋に呼び込んで遊んで喜んでいる。ま、無理矢理手伝いを頼んでいるので文句は言えまい。

夜8時15分、予定より15分遅れて開演。
クリストファーさん宅のリビングでそのまま芝居が始まる。外はまだ明るい。外光がそのまま入る部屋で、前説は始まった。おそらく英語で演じる「接見」は、今回の旅ではこれが最後であろう。
今日は劇場でも、レセプションルームでも教室でもない。本当に普通の家の広間での上演である。

日本では30年以上前から、坂本長利さんという役者さんが「土佐源氏」という一人芝居を持って全国を行脚し続けている。その方の著書には、お寺の境内や、どなたかの家の客間でも、どんどん上演したと記されている。今回の私の試みはそれに近い。坂本さんの本を読んで憧れていた作業そのままと言ってもよい。
ファッションデザイナー、RADA出身の俳優、コピーライター、ドイツ人のキャリアウーマン、在英30年の日本人陶芸家と、今日は圧倒的に目の肥えた大人の観客が多い。始まる前から皆さん芸術家の匂いを漂わせていた。プレッシャーのかかりそうな場面だが、こういう時はそんなこと気にしない方が良い。
お客さんの中で若い女の子が混じっているが、彼女は日本の知人の歯医者さんの娘である。美術の勉強にロンドンに来てもう3年以上だそうだ。ロンドン歴は私よりはるかに先輩だ。ただ芝居にも興味があって、是非観たいと連絡してきた。思った以上に大勢の、色んな人がロンドンに住んでいるのである。
芝居の滑り出しは、実に快調だった。
途中とっぷり日が暮れたのを感じる。さかりの猫がニャーニャーと色っぽい声で鳴き始めて多少失速する。しかし、これもご愛嬌。こういう場所での上演ならではである。
客席の疲れも直接感じる。
ライブの醍醐味である。

終演後、早速飲み会に移りたかったのだが、意外にも数人からの質問が飛び交い暫し討論会になった。”たった一人で、しかも母国語ではない英語で1時間以上演じたのは立派だ””日本ではホモセクシャルであることが、そんなに意外性があるのか?””あなたは俳優だけで食べていけるのか?”等々。
実は観客の中には相当数のゲイの方がいたこと、RADA出身でもなかなか仕事がない現実と向き合っている俳優さんなどもいたのである。故に私への質問や興味が色々湧いてきたのだろう。
嫁さんは、いつもとは違う討論会の様子に喜んでいた。

その後宴会は深夜まで続いたが、翌日の朝が早いので私にしては珍しく12時頃退散。


5月3日(月)良い天気そうに見えて昼間は大雨、夕方晴れ
午前8時からRoyal Opera House のオペラのチケットに並ぶ。Covent Garden の駅で、先日知り合ったオペラ歌手榎本さんと待ち合わせ。今日の情報は全て彼女の調べである。とにかく有名なオペラのチケットを買う為には、こんな早起きもしなければならないのだ。彼女のお友達の元宝ジェンヌの朝凪さんも一緒にチケット購入に並んだ。英語の勉強の為に1年半もロンドンに住んでいる朝凪さんは、大阪でラサール石井くんとTV番組をやっていたこともあるそうである。当然「星屑の会」の芝居も見たことがあるという。うーん世界は狭い。

10時過ぎ、チケットをゲット。そのまま劇場内を案内してくれるバックステージツアーに参加。ところがガイドのおじさんの説明があまりに長くて難しくて分からないので、ついつい眠くなってしまう。おまけに中に入って見せてもらえたのは衣裳部屋くらいで、稽古場も舞台も遠くから眺めただけだった。残念。

外はかなりの雨だったが、夜の公演までにはまだ大分時間がある。そこで嫁さんと2人で人気の大観覧車”LONDON EYE”に乗ることにする。
雨だから順番待ちもなくスッと乗れた。どんよりした空の下のロンドンではあるが、一応お決まりの観光スポットではあるので、嫁さんも半分くらい満足のようだった。



ゴンドラはかなり大きくて、20人くらい乗れるだろう。床を除いて側面は全部ガラス張り。東西南北のロンドンシティが見渡せる。
途中機械の不具合で数分止まってしまったのが嫌だった。


続いて隣にある、ロンドン水族館も覗いてみる。しかしこれはしょぼかった。東京の葛西や大阪、名古屋の迫力のある水族館を知っている者としては物足りない。
それでもサンドタイガーシャークやジンベイザメのいる大型水槽には子供連れが群がっていた。

そして今宵は、いよいよオペラ。
お恥ずかしいがオペラ初鑑賞である。今日の演目はヴェルディの三大傑作の一つ。もちろん知らなかった。題名は、あらっタイトルを忘れてしまった!
朝凪さんが「有名な曲がいっぱい聞けて、嬉しいわ」と言っていたが、もちろんそれも知らなかった。
榎本さんと朝凪さんは”あのテノールは駄目よ”とか、ああだこうだ言っていたが、私にはどの人も信じられないような美声にしか聞こえなかった。素養がないということは、やっぱりちょっと恥ずかしいことだ。

ただセットと照明が非常に立体的で演劇的なことは理解できた。それとオペラというのは主役級の歌い手たちを、とことん引き立たせるために脇が大勢いるのだということも知った。
例えば尼僧の修道院の場面では、その他大勢のコロスの兵隊さんたちが、まるで絵画のような美観で配置されている。よく見ると、それはゆっくり位置を変えて動いている。きわめて絵的に演出された美しい光景だが、小劇場出身の私としては、その抑制されたコロスの1コマにはなりたくないと感じてしまった。
”むしろ鶏口となるも、牛後となるなかれ”の古語の如くである。

終演後は、SOHOでベトナム料理を食べる。野菜のスープや、特にワンタン入りるのスープが美味かった。


5月4日(火) 一昨日お会いした陶芸家の平山さん宅に招かれて昼食。
1階の入り口のドアを開けて驚いた。2階に続く階段の壁面が全面に劇場の天井桟敷の大写真が貼られている。つまり大写しの天井桟敷の写真の壁紙になっている。部屋をシェアしているRADA出身の俳優さんが、ある舞台のセットの写真を持ってきたらしい。芝居の香りがプンプンである。芸術家はやることが違う。

2階・3階の部屋を見せてもらった。古いが、なかなか味のある家だ。本や写真や家具が所狭しと置いてあるのだが、それなりにきちんと整理されているのが分かる。雑然としているように見えるが、何かルールがあるのである。
ダイニング兼リビングに俳優さんが作った舞台美術が置いてあった。今年のエジンバラ演劇祭で使う、ある一人芝居のセットらしい。
どうやら彼はStage Fright という舞台恐怖症に苛まれて、3年間舞台に立っていないらしい。舞台を忘れられない彼は、手先の器用なのを利用して、今は友人達の舞台美術を手伝っているのである。「役者だけで生活していけるのか?」と、私に質問してきたのは実は彼である。優しい佇まいの初老の俳優だった。

平山さんは、若い頃に舞台スタッフとしてアルバイトをしていた時の経験談を話してくれた。女好きの役者さんから愛人宛の言伝を頼まれたのに、間違ってそれを彼の奥さんに伝えてしまった失敗談。役者が舞台に忘れたり落としたりした小道具を本番中に回収するのが、いかに大変だったかの裏話。そしてイギリスと日本の芝居に対する考え方の違いの話など、楽しい午後のひと時を過ごすことが出来た。
ダイニングの部屋に飾ってあった平山さんの若い頃の写真をふと見つけた。長髪の青年の写真が平山さんだと分かるのに少し時間がかかった。30年の月日を感じた瞬間だった。

一旦帰宅して、私はメール作業。その間に嫁さんは街で買い物。後から家に着いた彼女は、色んなお土産を手に楽しそうに説明してくれた。

Liecester Square の本屋で、バスターキートンの写真集が届いているかどうか確認。2週間以上前に注文したのに、まだ来ていないらしい。

今日の夜も楠原さんと待ち合わせして、フリンジの観劇。今回の滞在では West End よりも、むしろフリンジに興味があると言って良い。もし「JAIL TALK」をやるなら、フリンジだ。
さて今日は Shepherd's Bush の Bush Theatre である。最も見ておきたかった劇場の一つ。もちろんフリンジの雄。パブの2階にあるパブシアターだが、ここは質の高い海外小作品をやることで有名なのだ。実は在外研修できている土田くんは、この劇場のお世話でロンドンに来ることになったらしい。そしてこの劇場の隣には、元はきちんとした劇場っだが今はTVの公開番組を主に撮っているらしいライブハウスもあって、2軒並んでそれなりの文化的な匂いを醸し出していた。


Bush Theatre の写真の予定


本日の芝居のタイトルは「M.A.D.」
日本の小劇場と同じような空間だが、客席はすり鉢状で急勾配の高さがある。そして舞台に正対する形ではなく、L字状に舞台を囲む形の客席なのだ。ちょっと面白い造りである。
この日の舞台は下手奥の台所から続く平場だ。観客の眼の前には主なステージになるリビングルーム。上手奥に玄関や寝室に続くらしい廊下が見える。とてもリアルで、我々には見慣れた造りのセットだ。
芝居もナチュラルな演技だった。
第1場。主人公は10歳くらいの少年。20年以上前の話。母は少年の父とは別れて、現在は別の男と暮らしているが、その男とも喧嘩が絶えない。しかも彼女は彼の友人とも通じているらしい。
リアルであるだけに、時々は心や体に痛々しいほどの争いになったりもする。
出てくる小道具や手順もリアルだ。ウンコのついたパンツを男がよろよろと穿き変えたり、目玉焼きを本当に作る匂いがする。舞台上に出てくるビデオデッキは、ベータである。それもビデオの出し入れが、上の蓋からしか出来ない品物。よく捜してきたねと言いたい。

第2場。始まって早々、青年に成長した主人公とかつての自分とが舞台上で出会い、見つめあいながら入れ替わる場面に引き付けられた。入れ替わりと共に、ほとんどの小道具やセットは出演している役者の手でチェンジされる。それが登場人物が持っている時間を感じさせてくれて面白い効果があった。ただし、そこまで。
1場があれだけリアルだったのに、2場は言葉の洪水の台詞劇になってしまった。舞台に登場するのは主人公の青年と義理の父の友人、つまり母の間男の2人だけである。20年以上の月日を経て、最近義理の父は喘息で死んだ。眼の前には彼の棺が置いてある。その棺を前にして謝罪に来た間男を青年は延々なじるのである。どうやら1場の事件の後は、この家庭は幸せではなかったらしい。
残念だが言葉の洪水になったところで私の興味は薄れてしまった。楠原さんによれば、却って1場から2場への謎解きが分かりにくくなったらしい。

帰りがけに、Camden の隣の Mornigton Crescent の居酒屋”浅草”で一杯やる。
ここはCamdenに住み始めたときに楠原さんから聞いていた、美味しい日本料理の店らしい。いつか来てみたいと思っていた店だった。
実はそれが、よく五目チャーハンをTake Away していた店の隣だったのである。全然気がつかなかった。灯台下暗しである。
果たして、その店の料理はメニューが豊富で、美味しくて、何より値段が良心的だった。早く気づいていれば・・・


5月5日(水)実にめまぐるしい天気。そして意外に寒い
午前中は部屋で整理。

日中は地下鉄をフル活用して動き回る。
☆明日来る予定の寄席文字のプロで大学の落研同期の橘右門のホテルの予約確認と手数料の支払いを日系旅行会社で済ます。
☆Knights Bridge の有名デパート Harrods でペットショップを見て廻り、キティちゃんのコーナーにも顔を出す。
☆Picadilly Circus に移動。別な日系旅行会社で10日のパリ日帰りツアーの乗車券を受け取る。もちろん予約はすでに済ませてあった。
☆Fortnum & Mason で、今日もお土産の買い物。
☆以前にも寄った映画グッズの店で、Beatles のファンクラブメンバー用のワッペンを買う。これは当時のオリジナルグッズで値打ち物。
その店の近くにある回転すし屋。
☆この店は前から気になっていたので入ってみる。以前に食べたLeicester Square の店よりはずっと美味い。ネタも新鮮。何より廻ってくるネタが寿司らしい。決して焼きそばやスペアリブは出てこない。お客さんが多いのも頷ける。

ここまで動き回ったら7時を過ぎていた。そりゃそうだろう。

今日も楠原さんと待ち合わせて観劇。
楠原さんも、この4ヶ月ですっかり芝居三昧である。
Soho の、その名も Soho Theatre で、新しい流れの芝居を観る。この劇場も気になっていた場所である。都心に相応しく、実に現代的でオシャレな劇場である。劇場の作りは、どことなく初台の新国立劇場の小空間 Pit を思わせる。
始まった芝居は、どうやら若者の性風俗やドラッグを扱った内容らしいのだが、言葉がほとんど分からなかった。スラングなのだろうか?10代の女の子達が大挙して観に来ているのは、そういう理由からだろう。客の入りは上々である。
後で聞いたが、楠原さんにもかなり理解し難い若者言葉だったそうである。どこの国でも、良し悪しはともかく言葉は生きているのである。

出演者の中で一際強い印象を与える俳優がいた。ウォルター・ヒル監督の映画「Street of Fire」のウィリアム・デフォーを思わせる容貌。彼には冷酷な暴力性を感じさせる不気味さが最初からあった。案の定芝居の後半で、それは小さく爆発した。小気味良かった。

芝居の構成は、舞台を三つの空間に分け、照明と音響効果で短い場面をコラージュしていく方法をとっていた。
そういえば「Street of Fire」にも似た方法だ。

上演時間は1時間と短い。手話の解説付き。
ちなみに後日読んだ情報誌 Metro の劇評家は、この芝居に”Poor”の評価を下していた。私はそんなひどくないと思ったが、年配の評論家には無理なのだろう。

9時からはもう1本別の芝居が始まる。こちらはあのモンティ・パイソンの作家についての話のようだった。但し今日はお休み。残念!

観劇後は、ここまで来ればSOHO JAPANである。3人で飲んでいると、後からベーシストのTACAくんも参加。ワイワイとなる。


5月6日(木)天候は少し回復

最後の家賃を大家さんに払う。
猫が私の部屋によく遊びにくるようになった。もちろん嫁さんがお出迎えするからであるが、猫達の方も3階の部屋のドアが開くとすっ飛んでくるようになった。

「接見」日本語版の案内メール(5月7日予定)やら、帰国パーティー(5月8日予定)のお知らせメールに時間をとられる。
在外研修でパリにいる女優の山上優とも連絡を取る。彼女がいないと私たちは自力でパリを探索しなくてはならない。それにしても同時期に運良く知り合いがパリにいたもんだ。

ヒースロー空港に橘右門を迎えに行く。私は英国在住ではない訳だが、海外の空港で日本人を迎える気分は少し変だ。ちょっと得意げになってしまう。滞在期間が長くないとこの気分は味わえないだろう。手荷物審査に時間がかかったのか、少々遅れて右門到着。

Chalk Farm のホテルで荷解き。部屋は気に入ってもらえたようだ。私が以前感じたほど、部屋は狭くもないようだ。日当たりと交通の便、スーパーの近さは抜群である。

我が家まで来てもらって、早速寄席文字を書いてもらう。お世話になったお店やら、知人やらから色紙のリクエストがたくさんあったのである。
そばで書いているのを見ると、やはり寄席文字はなかなか見た眼の格好良い字である。

Camden Town の例のスペイン料理屋で食事。
この頃は9時くらいまで外は明るい。
異国の地での再会を祝して、酒と話しに盛り上がる。
右門が器用にナイフとフォークを使っているのが印象に残った。


5月7日(金)よく分からん天気
朝から、嫁さんと「接見」の音響の練習。今日はGreen Park の JETRO の会議室で日本語版の上演なのである。
JETRO というのは、海外の留学生を日本に招聘する組織。今後の日本はこういうことを、どんどんやっていかなければいけないのである。実はずっと通訳を担当してくれていたジャミルも、この制度で日本に来ていたのである。ちなみに彼が招かれたのは九州の島原だったようである。地方が招く場合も多いのである。それもまた良しである。
それと
今日の日本語公演は、読売新聞のSさんと演劇プロデューサーのKさんの要望と発案から始まった。「JAIL TALK」を観たら、是非とも日本語版を観たいというのである。私も望むところである。”日本語の上演の方が上手いですよ”と、当たり前のことを自慢して本日の段取りとなったわけである。

午後2時開場。今日のお客さんは私が今回の滞在で知り合った方達へのメール連絡と口コミ、そしてJETRO の主任Tさんの連絡網だけで集まった人たちである。ちなみにTさんはロンドンの日本人コミュニティの中では世話好きな人として、ちょっとした有名人だそうである。本日のセッティングにも感謝!
ざっと20人くらいのお客さま、半分は英語版を観ている人だ。当然今日は日本人ばかりである。いかわさんや多胡さん、榎本さんや朝凪さんらの見知った顔も多い。

2時開演。今日の前説は、この芝居には実は素喋りの前説があるんです、ロンドンの4ヶ月の思い出を日本語で語ったので長かった。ホームステイのこと、落語ワークショップのこと、Actors Centre の即興エチュードのこと、この芝居の個人レッスンのことなど、20分以上は喋っただろう。頭の中の構想だけで練習はさほどしていなかったが、案外気楽に出来たので楽しいトークになったと思う。

前説同様の気楽さで、久しぶりの「接見」日本語版は好調に滑り出した。
出だしの声のトーンから自分で計っていけるのが心地良い。これが3年間作り上げてきた弁護士、檜常太郎である。
軽い、とっても軽い気がした。英語の束縛から逃れたので、まるで履いていた鉄下駄を脱いだような軽さである。気持ちが言葉に自然に乗っているのが分かる。
途中、数字の間違えを犯したが、それの被疑者の塩川さんとの会話の流れでアドリブ的にごまかした。失敗を活きた会話に置き換えてしまったのである。英語版では到底出来なかった芸当である。
ほとんど時間を感じずに、上演を終えた。
ロンドンで初めての「接見」日本語版の上演。そしてこれがロンドンでの一人芝居の最後の上演となった。

終演後近所のCafeで演劇プロデューサーの Kさんと打ち合わせ。
まずは日本版上演がとても良かったことを誉められた。そして、そのことを踏まえると英語版はまだまだ未熟であることを逆に指摘された。
今まで英語でしか見ていなかった評価は、今日の上演で変わったのだ。日本語であれだけ細かいニュアンスまで表現できるなら、英語版はもっと努力すべきだと言われた。
”日本人が英語でよくそこまで頑張ったね”ではなくて、俳優として同じ土俵の上で通常どおりの評価をされるくらいにならないと、ロンドンのフリンジで公演の旗を揚げる意味が充分ではないというのが Kさんの意見である。
それには英語上演に対して相当の努力、つまり時間とお金がかかるだろうということを説かれた。”小宮さんにやる気があるのなら、是非応援しましょう”とも言われた。
一瞬舞い上がりそうになったが、元来慎重派の私である。眼の前にあったアイスクリームを舐めて頭を冷やした。

それから暫くは夢と現実のお話や、彼女のロンドンでの苦労話など、Kさんの言葉に耳を傾けた。RSCの「リア王」に出演した真田弘之の話も飛び出した。あの人は「リア王」の前に1年間かけて英語を勉強していたのである。しかも日本人に会わないようにロンドンから離れてである。凄い俳優である。その彼にも紆余曲折があって「Last Samurai」である。ロンドンでは「たそがれ清兵衛(Twilight Samurai)」の方が圧倒的に評価は高いのだが。

色々環境が違うと言ってしまえばそれまでだが、やはりその人なりに事情はあるだろう。私は私の最善を尽くすことを静かに思い始めていた。分かっていることは、幾つになってもモチベーションや夢のない生き方は魅力的ではないということだ。

一旦帰宅。即座に着替えて再出発。右門と待ち合わせて、ロンドン在住の漫画家の玖保キリコ亭へ急行。今日は玖保さん宅のバーベキューパーティー(以後BBQ)に招かれた。
残念ながら小雨の為屋外のBBQは中止だった。でも先着の林さんや馬本さん、そしてジャミルらと、マグロやラムの美味しいBBQが部屋で待っていてくれた。

少々宴会で盛り上がったところで
橘右門の寄席文字勉強会になった。みんな慣れない手つきで寄席文字にチャレンジしだした。普通の習字とは全然違うので、勝手が違うのだ。





さすが玖保さん





飲み足らずにCamden Townの中華で一杯。 さらに我が家で一杯。


5月8日(土)小雨模様
小雨のため和服を着た嫁さんが和服用の雨コートを着る。それでCamden Town の街を歩いたが、やはりイギリスでは珍しいので目立った。

英国国際教育研究所で落語と寄席文字のワークショップ。公の場所で行うワークショップは、これが最後になる。
私はこれが3回目の来校。3月の初めには「JAIL TALK」の公開練習させてもらった学校だ。
この学校には面白いことに、日本人の女学生を中心にした落語クラブがある。今日はその中の3人が英語落語を演じてくれた。小学生の女の子が演じた「時うどん」が、振りの部分だけで終ってしまったのでビックリした。それと自作の新ネタを演じた大学生はなかなか舞台度胸のある女の子だった。そしてもう一人の学生は、実は東京で橘右門に寄席文字を書いてもらったことがあるそうだ。3人それぞれにこちらをちょっと驚かせてくれた。

私の落語ワークショップもこれで最後。いつも通りの進行だが、今日は参加者も多いのでのってやることが出来た。後から後から見学者が増えてきて、50人は越したと思う。学校側がきちんと宣伝していたことがよく分かる。表現者をのせるにはこれでないと。
日本語を勉強しているイギリス人の人も多いようだ。一人黒人の青年が、蕎麦やら何やらの日本文化に詳しいので、以後ずっといじることにした。
橘右門も見ているので、気合も入る。
私も「厩火事」の英語版・日本語版。「桜鯛」「後生鰻」の全レパートリーを演じ切った。気がつけば1時間を過ぎていた。
ロンドンに来てから約4ヶ月。曲がりなりにも、1時間以上を英語の喋りで通すだけのことは出来るようになっていた。


さて休憩後、お待ちかねの寄席文字のワークショップである。
後で聞いて知ったのだが、寄席文字が海を越えてヨーロッパに広められるのは、これが初めてだということだ。記念すべき活動に、私も一役買ったことになるのである。

ワークショップ開催と同時に、橘右門の英語が快調に滑り出す。彼も相当英語の勉強をしてきたことが分かる。仲間として頼もしく、嬉しい。
もちろん右門は日本で寄席文字の勉強会の先生をしているので、教える段取りはお手の物である。まず前半は彼自身が書く実演と、寄席文字の歴史や書体の講義。筆の文字は、イギリス人にはとても興味があるらしい。みんなが集中しているのが分かる。
そして大きなテーブルを2台囲んで、参加者の体験タイムである。テーブルの周りは人だかりである。寄席文字大人気だ。

夜7時から、SOHO JAPANで楽しいお別れパーティー!
今日は出席者が多いよ。楠原夫妻。森尚子。榎本&朝凪コンビ。日本大使館のZさん。 JETRO のTさん。蝋燭デザイナーBさん。ウルトラジャーニーのK夫妻。4月に教会でやった落語のワークショップを見に来てくれた方3人組。もちろん土田くん、その他まだまだ。

途中参加や途中退席された方もいた。詳しくは覚えきれません。
みなさん私の日本帰国を盛り上げてくれた。
出席者には、それぞれ橘右門直筆の寄席文字色紙を差し上げた。みんな大喜びだったので、右門共々鼻が高かった。こういう一味違った日本文化は、特に在英日本人には受けるようだ。SOHO JAPAN にも”喜”の一文字の素敵な色紙をプレゼントしたので、飾っておいて欲しいなあ。
その場でその一文字のリクエストを取ったりもしたので、その希望もなかなか面白かった。”笑”とか”歌”とか、楠原さんは迷った末に”間”という一文字をリクエストしてきた。確かに演技にも笑いにも”間”は肝心だし、こういう字画の文字は寄席文字としても格好良いのである。ミスサイゴン森尚子は、迷った挙句に、リクエストは持ち越しの宿題になってしまった。私は”演”とか”艶”とか色々勧めたのだが、どうも決めきれなかったようだ。

深夜になって、形容詞で現在の心境を当てるゲームをやって盛り上がる。
これは一時期「ひょうきん族」の楽屋で流行った心理ゲームである。特にさんまさんが進行役を仕切るのが上手だったのを憶えている。
まず参加者には、手当たり次第に形容詞を16個列挙してもらう。つまり最後に”い”のつく言葉なら何でもよい。そして野球の試合のトーナメント形式の逆のような図式で、それぞれ隣り合った形容詞同士から連想する言葉を言ってもらう。例えば”嬉しい”と””青いだったら”快晴”という具合である。そして8個の言葉から、さらに隣同士で連想する言葉を、さらに次も同じようにと続けると最終的には、かなり現在の自分の心境に近い言葉が現れてくるという次第である。これには仕掛けも何もないし、素直に答えてもらえばもらうほど、良い答えが出てくるのである。
結構面白い遊びなので、皆さんにもお勧めする。
酒を飲んで深夜にやると、ディープなネタにも展開するので面白いよ!

どうやらそんな感じで、濃いメンバーで3時過ぎまで飲んだらしい。
ロンドンの店で3時まで飲んでしまうというのは大変なことである。
マスターの高木さん!ありがとう!感謝観劇!
この日記を読んだ皆さん、下記の店を是非ご利用ください!
http://www.sohojapan.co.uk


5月9日(日)
空き場所に数枚の写真を貼って、我がフラット階段の写真ボードがほぼ完成!
今日は私の部屋で寄席文字ワークショップ。これが文化交流史としての最後の職務になるであろうか?
出席者は4月30日にお世話になった小学校の先生Yさんと、彼女が連れてきたイギリス人青年男女二人。「JAIL TALK」の通訳をやってくれていたジャミル。そして昨日も深夜まで一緒に騒いでいたオペラ歌手の榎本さん。それから昼寝の後に階下から上がってきた大家のMrs.July。以上5人。
今日は基本的に日本語を分かる英国人に絞ってみた(大家さんは別として)。その方がより効果的な伝わり方がするだろうと考えたからである。
さすがに日本文化に慣れた人たちである、右門の説明や書き方の実演にとても興味深そうであった。特に寄席文字は普通の筆文字とは違う。書道よりも絵画に近い部分がある。書くよりも描くといった感じである。その絵画的な美しさに皆は感動しているようでもあった。
”柳”という字を書くときに右門が「この字が書き上がったときの美しさはないよ。日本の寄席文字教室の生徒が時々気を失うくらいくらいだから」と冗談めかして言った後に、結局その字のバランスの見事さに倒れそうになったのは日本人の榎本さんだけだったのが可笑しかった。

さらに、寝起きで後から参加した大家さんのリアクションが面白かった。
初めて書いてもらった漢字が面白い形なのでみんなで笑っていたら”ちゃんと教えてくれなきゃ出来ないわよ”と真剣に怒っていた。その怒り方が、可愛いのである。
その後も彼女のリアクションは大袈裟であった。難しい時には本当に難しそうな顔をするし、誉めてあげた時には素直に喜んでくれる。外人特有のリアクションだ。
色々やった末に最後には漢字の難しさに閉口して、彼女は筆で胴長犬の墨江を描いたりしていたが、ところがこれが上手いのである。
ずっと彼女を見ていたら、失敗した寄席文字の下書きを、ペイントするように筆でなぞって修正し始めた。これも上手いのである。結果的に橘右門の寄席文字にかなり近い線まで仕上げてきた。
それを見た右門は「最終的に字体のバランスが良ければ、彼女のやり方でもいいのかもしれない」と納得していた。元々多少の修正は許される字である。そこが普通の習字とは決定的に違うところである。だから右門も認める気になったのであろう。結果が良ければ、過程は重視しなくてもいいのではないかという考え方である。
我々が固定観念で思っている展開とは違うものでも、意味があれば認めてもいいのではという考え方である。
図らずもこれは、2月7日にテルフォ−ドで初めて落語のワークショップを開いた時に、メキシコ出身の男性が扇子をどうしても口ひげに見立ててしまったのと通じる所があった。やはり文化の交流とはこういったことを指すのだろうと思えてきた。

それにしても参加者全員、右肩上がりの寄席文字は難しいようだった。
さっきも書いたが、寄席文字の美しさに一番嬌声の声を上げていたのは日本人の女性、榎本さんだったのである。そうかもしれない、日本人にもこの字は珍しいのである。
※ちなみに榎本さんは私の帰国後にも、橘右門を招いて寄席文字のワークショップを開いていました。相当な惚れ込みようである。

余談だが、Yさんは立川志の輔さんのファンで、CDも持っているそうだ。実はそのCDのジャケットの寄席文字を書いているのは右門なのである。我々は明治大学落語研究会の先輩後輩なのである。世界は狭い。

ワークショップが終わって、夕方から酒盛りが始まってしまう。私も自室なので気が楽になってしまった。
ここで、またまた今日も形容詞ゲームとなる。ちょっとしたマイブームだ。

8時過ぎに近所に住む読売新聞のSさん宅のホームパーティーに顔を出す。
羨ましいくらいに格好良い部屋だった。そこに若者達(私から見ると)が数人集まっていた。
久しぶりに食べたチラシ寿司が馬鹿に美味い!
3月に落語をやった日本大使館のイベントにも顔を見せてくれた、ピアニストの平井元喜さんが落語に実に詳しい。志ん生の「鈴振り」なんていう落語のタイトルは、そうそう出てくるもんじゃない。右門と3人で暫し落語談義。
こんな所で古典落語を語るとは・・・


5月10日(月)ロンドンは、どんよりした空模様
5時20分起き。
今日はいよいよパリへ出発だ。
特別な日なので、ちゃんと起きてWaterloo の駅へ。

着物を着てパリまで行こうかというアイディアもあったが、空模様を見てそれはは断念する。実に面白い企画だが、リスクが大きい。着物が汚れて台無しになるかもしれないからね。
和服でドーバー海峡を越えるというのは諦めたが、羽織だけは持参した。

今日は国境を越えるわけだから、久しぶりにパスポートを持った。
さて
7時39分。憧れのユーロスターの車上の人となる。
本日はファーストクラス。食事つき。つまり飛行機と同じ感覚だ。
本当のことを言うと、安いチケットはとっくに売り切れていたので、ファーストクラスしかなかったのである。しかしこういう場合は思いっきり満喫しないと。

私はすぐに海の下を潜るのかと思っていたら、予想より地上を走っている時間が長い。しかもずっと一般車両と同じレールを走っていた。山形新幹線と同じ理屈だ。
鉄道マニアの右門はそんなことは承知していたらしく、私に楽しそうに説明してくれた。

1時間近く走った後、列車はドーバー海峡の下へ潜り始めた。
そしてトンネルを30分ぐらい過ぎると、いよいよそこはフランスだった。
だが景色はあまり変わり栄えはしなかった。
イギリスと同じように、なだらかな丘陵に春の緑が続いている。途中濃い霧に覆われたりしたが、延々と田園地帯は続いた。
そしてさらに1時間。
街が現れてきた。建物の造りが違う。レンガではなく石の家が圧倒的に多い。
車内かは落書きだらけの壁がたくさん見える。ちょっと違うぞ。
ただ、そこがパリだか不安だった。何しろ初めてなのである。駅員に聞いてここがパリだとやっと納得。着いた!


右門と2人で羽織と半纏に着替えて記念写真


山上優さんの出迎え。彼女は旧知の日本の女優さん。現在は文化庁の在外研修でパリで芝居の勉強中だ。
当たり前のことに驚くが、彼女はフランス語を喋っていた。私達のお金の両替を流暢(に聞こえる)フランス語で、交渉している。英語には驚かないが、知らないフランス語には驚いてしまうのだ。
再会を祝して、昼間からカフェで乾杯。






さてお金はユーロに換金した。ロンドンと似たような地下鉄バス乗り放題の乗車券を購入。山上さんが”1日無料券を買いました”と言う。そんな訳はない。それじゃ只乗りだ。”1日無料券”ではなく”1日乗車券”である。

バスで凱旋門へ。
想像以上に、どでかいモニュメントだ。こんな石造りの建築物を造ったことだけでも称賛に値する。
私は高所恐怖症なので嫌がったのだが、他の全員が言い張るので、階段で屋上まで上る。門の足下駄の部分の中にらせん階段が屋上まで続いているのである。
上から眺めると、放射状に広がるパリの中心市街が手に取るように分かる。ナポレオンがこんな物を造らせてからのパリは、この凱旋門を中心にした計画都市になっていたのである。日本のような乱雑なビルの建て方はしないので、街の景観が美しい訳である。
しかし、ここにナチがやってきたことも考えると恐ろしい気がする。映画「パリは燃えているか」を思い出していた。

凱旋門と来たら、次は当然エッフェル塔である。
これもでかい!
こんな物が100年以上前の万博の為に造られていたなんて、ちょっと驚きである。山上優さんのお勧めの場所から、暫し素晴らしい壮大な眺めを堪能する。
これを真似して造ったであろう東京タワーや通天閣よりも、はるかにでかい。
それにしても、ここは日本人観光客が多かった。特に中年以上のおばさんの団体が圧倒的に多い。中にはお土産に買ったPRADAの買い物袋を下げている女性もちらほら見かける。That's Japanese. である。

午後4時くらいから、憧れのシャンゼリゼ通りのカフェで食事。
エスカルゴにムール貝が美味しい。特にエスカルゴは日本で食べるものよりも、にんにく臭くなかった。まだ明るいシャンゼリゼで、赤ワインをガンガン飲む。
イギリスの話やフランスの話で盛り上がる。結局ミニブームの形容詞ゲームもやってしまう。

帰り際に、スーパーでお土産のお買い物。石鹸やらワインやら絵本やら、お土産に適しているものがかなりスーパーにあった。イギリスとはまた違った品揃えと、陳列に興味津々であった。
すっかりお世話になってしまった山上さんに御礼を言って、たった1日のパリ旅行を終え帰路に着く。

しかしまあ、今日は実によく歩いた。万歩計では1万5千歩を記録していた。
申し遅れましたが、私、ずっと以前から万歩計を愛用しています。
その疲れもあってか、帰りの列車は爆睡に近かった。
めっきり口数も少なくなった我々は、ロンドンのWaterloo から Northern Line に乗る。そのまま橘右門とは地下鉄で別れて自宅へ直行する。

ところが、ぐったりしているはずなのだが、ベッドに入ってから急に色んなことを考え出し始めて寝られなくなる。
帰国のことを考えると、色々思いが駆け巡ってしまうのである。

出来れば、もうちょっとロンドンにいて、夢を見つづけていたい。


5月11日(火)
寝つきが悪かった反動から、昼頃まで寝てしまう。
さあ、いよいよ帰国の荷造り開始である。この部屋に着いた時に解体したダンボール箱を再び組み立てる。何から詰めたらいいのか、重さの配分も考えなくてはならないし、捨てるものは捨てなきゃならないし、迷いながら作業を進める。しかし今日は嫁さんの監視もあるので、私の常の荷造りのように、書類や本を見ては思い出に浸ってはいられない。

大きな箱の配分を考えて、とりあえず今日は小さい荷物の郵送を済ませる。
色々区分けしないと収まらないくらいの分量になっていることに改めて気づく。

夕方、橘右門と待ち合わせてLeicester Square へ。Half Price のチケットで定番のミュージカル「マンマ・ミーア」を見るつもりだったが、3人分のチケットが手に入らなかった。直接劇場に行けば高い残券がありそうだったが、そこまで気分は盛り上がらなかった。

観劇はあきらめて、SOHOの中華街で食事をした。
横浜の中華街のように、ロンドンの街に突如として中国風の飾りとネオンの街が連なっている。楽しい雰囲気を感じると共に、華僑の凄さも感じざるを得ない。
今日は最も繁華街の店の中から1件を選んだ。
どれもそれなり以上に美味しい料理だったのだが、気になることが一つ。
酢豚を頼んだ時だ。”Sweet & Sour Pork”と注文したら、注文を繰り返すウェイトレスが”フン”と鼻で笑った。何じゃと思ったが、つまりはこういうことだろう。
日本人の注文するのは酢豚か麻婆豆腐か回鍋肉、シュウマイ・餃子の類が圧倒的なのである。中でも酢豚はベスト1なのだろう。
彼女にしてみれば”また日本人が酢豚だわ”と笑ってしまったのだろう。もちろん失礼な話だが、接客商売での中国人の態度の悪さは有名である。そもそも接客サービスという感覚がないのだと思う。食事前に寄った中国系のお土産物屋さんでも、あまりの素っ気無さに出会っていたし、ロンドンでもパリでも中国系の風評は聞いていたので驚かなかった。このくらいで腹を立ててはいけない。注文した料理を出すときにドシンと大きな音を立てて置いたり、目に余る行為が多かったら初めて文句を言えばいいらしい。


5月12日(水)
ロンドン在住の歌手、あの”金妻”の大ヒットソングを歌った小林明子さん宅訪問。
場所はHamstead の高級住宅地。
小林さんにはRADAの一人芝居にも観に来ていただいていた。
実は井の頭神泉にある私の行きつけの飲み屋の常連に、小林さんが所属するプロダクションの社長さんがいて、以前からロンドンにいることは存じ上げていたのである。
今日は芝居のお礼と、橘右門に書いてもらった寄席文字の色紙を届ける為に家にお伺いしたのだ。





Victoria のいつもの店でコメディを中心にDVDを購入。
Leicester Square の映画専門店の本屋で注文していたバスター・キートンの写真集が届いているかどうかを確認。結局今日も来ていなかった。残念ながら、これではもう帰国までには間に合わないだろう。
Actors Centre へ行って、会員番号は数年の間有効であることを確認。次に戻ってきてもまた通える訳である。でもひとまずはさようなら!思えば2年前の冬に、この学校で勉強しようと思い立って(2年前のロンドン日記参照)、そして実行したのである。
Tottenham Court Road のフジTVで「JAIL TALK」のビデオを受け取る。テープの数は6本。日本に帰ったら自分で編集である。
全てが帰国に向けて進んでいる。

一旦帰宅。荷造り続行。大きな荷物の作業に入る。1個めの箱を持って、その重さに驚いた。こりゃ大変だ!

夜9時過ぎ、SOHO JAPAN に顔を出す。楠原さんや土田くん、いかわさん達が飲んでいた。今日は少し真面目にイギリスでの俳優生活のことについて伺った。
この国で食べていける俳優生活を営むには、仕事を選んでなどはいられないこと。「JAIL TALK」をロンドンの劇場でやる場合の心構えなどを聞いた。
これがロンドンの皆様との、最後の飲み会であろう。
本当にありがとうございました!


5月13日(木)良い天気。暖かい。初夏の気分である。
Hendon Central の駅に3ヶ月使ったFAXを返しに行く。暖かい日差しを浴びて、重たい荷物を持って歩いていると汗ばんできた。我慢できずに、上着を脱ぐ。
借りに来た時には、寒い真冬の午後だった。

帰国を明日に控えて、この期に及んでという感じだが、タワーブリッジやロンドン塔を見に行った。嫁さんはさかんにカメラのシャッターを切る。
こういうお決まりの観光スポットをはずしていたのである。

そそくさと帰宅。荷造り再開。今日は宅配屋さんが来る日である。
間に合いそうもないので、バタバタとし始めた。
6時約束通りに日系の宅配屋さん到着。さすがに日系の会社は時間に正確である。ところが私の方の準備が、まだ出来ていなかった。少々待ってもらって、部屋まで上がってきてもらった。荷物を運び出そうとした宅配屋さんも、その重さに少々驚いていたが、さすがにプロ。狭い階段を大きな箱を運び出してくれた。ただこの重さだと、値段の方も張るでしょうとのことだった。仕方ない。

宅配屋さんが去った後には、荷物が減ってがらんとした部屋があった。

机に残っているパソコンで日本に帰国メールを出す。これがロンドンからの最後のメールである。

7時過ぎ、橘右門とCamden Town の駅で待ち合わせ。
色々店を探し回って、ギリシャ料理の店を見つけて入る。外観はかなりしょぼそうだったが、中に入ると想像以上に広くて雰囲気の良い店だった。
肉の串焼きやら、海鮮料理、そしてホームステイ先でもご馳走になったギリシャの代表料理”ムサカ”を食べる。最後の夜である。当然ワインも進んだ。



5月14日(金)

冷蔵庫に残ったものも、きれいに片づけて軽い食事。
重いスーツケースを、やっとこさで階段から下ろして玄関へ。
思い出の詰まったこのスーツケースが本当に重かった。 これが”旅の重さ”だろうか(^0^)優に30kgを超えていただろう。飛行機に乗せてくれるかどうか心配だったほどだ。

大家さんに丁寧にお別れの挨拶を済ます。
出来れば、是非また遊びに来たいものだ。
玄関を出て階段を下りるときに、スーツケースのあまりの重さに転びそうになった。こんなところで怪我をしたら笑えない。危ない所だった。

Camden の駅まで橘右門が見送りに来てくれた。彼もスーツケースを運んでいる。ひとまず今のホテルはチェックアウトして、数日ロンドンに残るそうである。
寄席文字のレクチャーをもう少しして、趣味の鉄道関係の写真を撮る小旅行もしたいらしい。彼も行動派である。

Camden の駅からタクシーに乗り、Paddington の駅までタクシーを走らせる。運転手さんは荷物の乗せ降ろしの際に、さすがにその重さに驚いて笑っていた。
Paddington から Heathrow 空港へ。Heathrow Express は、他の乗客と同じようにいつも通りに私達を運んでくれた。世の中の普通の時間と同じように、私達の時間も進んでいる。

私は空港内の Cafe で、最後の日記をまとめ始めていた。

British Airway の機内で、こんなことを書いていた。
”どんどん何かから遠くなっていく気がする。日常だったものが非日常に。今が思い出に。イギリスは少し遠くなった。
夢についても、ひとまず Calm Down である。”




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