相棒/小宮孝泰出演ルポ『その時、空気が変わった…』



“空気が変わる”という感覚を味わったことがありますか?
たとえば、変化球で知られる投手がいきなり150キロの速球を放った時。スタジアムは一瞬静まり返り、その後の試合のムードまで違うものになってしまう。
そんな事がごくまれに、ドラマの製作現場でも起こります。


昨年、『相棒』というドラマで小宮さんにゲスト出演して頂いた時がまさにそうで した。その時、我々は幸運にも二度、そんな状況に遭遇したのです。
申し遅れましたが、私はそのドラマで製作会社のプロデューサーをしている者です。

小宮さんが演じたのは、元アイドルの妻を持つ苦労人の落語家。
彼は妻を愛するがゆえに犯罪を犯してしまう。それを水谷豊、寺脇康文扮する刑事 が追い詰めてゆく…とまあ、こんな内容の回でした。
実はこの回のこの役、ほとんど小宮さんを想定して書かれたものです。
いわゆるアテ書きというやつです。もちろん、脚本作成の段階では小宮さんにオフ ァーをしておりませんので、あくまでもこちらの思い込みの理想キャスト。ですが、 この十年の間に舞台での小宮さんを観続けてファンだった私と脚本家は、これは絶対 に小宮さんだと早い段階で勝手に決め込んでおりました。

この役で重要になってくるのは、まず“落語家としてのリアリティ”…ですが、私 はこのことにはあまりこだわっておりませんでした。むしろ重要なのは、ラストで二 人の刑事を相手にして心情吐露する場面。ここでどれだけ視聴者の共感を得られるか? …私はこのシーンからの逆算で、小宮さんに出演をお願いしたかったのです。お願い してから、小宮さんがあの明治の落研だということを知り、自分の不勉強を恥じつつ、 その事実に喜んだことは言うまでもありません。加えて春風亭昇太さんに落語監修を して頂くという、豪華なおまけまでつきました(多謝!!)。

小宮さんが落語家“橘亭青楽”として登場したのは、末広亭での高座のシーンでし た。
月曜の朝八時から始まる撮影にスタッフもまだ半分寝ぼけ気味、和泉聖治監督は前 日、ようやく初回の二時間スペシャルを撮り上げたばかりの連投ということもあり、 お疲れムードの御様子。悪く言えば、落語のシーンだし、もしだめでも適当にごまか して早く切り上げよう…と、いうようなノリでした。

しかしそんな空気はリハで小宮さんが話し出した瞬間からガラリと変わり始めます。 演目である「手紙無筆」を一通り演り終える頃には心地良い緊張感すら場内には漂っ ておりました。
「…見事だな」と、和泉監督。
それまで俳優としての小宮さんにもう一つ明確なイメージが持てなかったという事 ですが、ここでその思いは180度反転したとのこと。さらにはこの高座の小宮さん の演技を見て、この回はイケると確信したそうです。当初、脚本に関していろいろ演 出的に疑問点があったようなのですが、これ以後、監督から脚本については何も相談 を受けませんでした。監督の不安要素を小宮さんの演技が払拭してしまったのでしょ う。

演出のプランまで影響を与えた小宮さんですが、実は小宮さんの高座の演技を見て、 一番気合いが入ったのは主演の二人だったのではないかと思います。二人はリハから 本番を通じて、食い入るような眼差しで小宮さんを見つめ、水谷さんは時より「いい よ、これはイイ作品になるよ」と嬉しそうに言っておりました。
ちなみに「何もしなくても小宮さんの話術で笑ってくれるんでラクでした」とは、この時“笑う”演技を観客役のエキストラにつけるハズだった助監督の言葉です。

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当日の高座の姿。朝8時の撮影だが、一応主任(トリ)を取っている。
末広亭の席亭からも、ちょっと褒められました
(小宮談)。


二度目に空気が変わったのは前述した心情吐露のシーン。
刑事に対し、落語家がその切ない胸のウチを語る…私がこれこそ小宮さんだと思っ たシーンです。
当然、話している小宮さんだけではなく、水谷、寺脇の両刑事がその間に短いセリ フでカットインしてきます。画面も当然ながら、この三者がカットバックされるのが お約束です…が、ラストのところでは小宮さんの表情を映したきりで、主人公二人の “受け”の表情がカットインしてこないのです。
これはどういうことか?
小宮さんの演技がそうする事をためらわせたのです。
最後の小宮さんの存在感が圧倒的で、たとえ主人公と言えどもそこに割り込んで来 る事が出来なかったのです。それは、現場で小宮さんの演技を見ていた人間なら十分 に納得できる事でしょう。
そしてその編集に誰よりも満足したのは、やはり主人公の二人だったハズです。

ホントに小宮さんに演ってもらって良かった…小宮さんの芝居を見て啜り泣いてい るスタッフに混じり、私も泪目になっておりました(後日、やはり出演者の岸辺一徳 さんが、この回の小宮さんの演技を絶賛しておりました)。
余程のことが無い限りそんな事はしない和泉監督が、小宮さんのオールアップの時 に握手を求めたのが忘れられません。

aibouS
主演のお2人と私らゲストの2人。私に手ぬぐいを渡しているのは、元アイドル妻役の大西結花さん。この手ぬぐいが事件の重要な鍵でした
(小宮談)。




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